2018
Apr 20
(Fri)

初夏の記憶


西脇一郎には、夏の初めになると、決まって思い出す記憶がある。

西脇一郎。48歳。湯河原の海石榴の花板だ。
今でこそ、若き日の修業が実り、一男次女をもうける所帯持ちとなったが、なかなかどうして一口には言えない過去がある。

西脇は高校を卒業すると建築現場のバイトが身に堪え、ぎっくり腰になった。定職にもつかず母親の元でプラプラしていた。
ところが、転機が訪れた。
前年の10月17日に放送が始まった「前略おふくろ様」倉本總脚本、萩原健一主演、そのほかに坂口良子、加藤熹、梅宮辰郎などなど。
その萩原一郎演じる「片島三郎」ドラマの中では「サブちゃん」に西脇はぞっこんまいっていた。
こうした西脇の癖はその時に始まったものではなかった。
中学3年生の時には、「俺は男だ」の森田健作にはまり、同級生の青木を誘い、「さぁ、江の島まで走るぞ」。
高校1年の時には、「太陽にほえろ」の石原裕次郎にはまり、電話を掛ければ「はい、こちら西浜警察署」。

そこで、出てきたのが「前略おふくろ様」
西脇は名を一郎とつけられたことから、片島三郎は絶対俺の分身なわけで。そう思い込んでしまった。
「海ちゃん恐怖の海ちゃんが、とうとう上京してしまった」
かつて江の島まで走らされた青木は、混濁した。
「あー海って、西浜の海?」
「いや、おれ、勘違いしてました。海はサブちゃんのいとこで、俺のいとこは富美でした。その富美ちゃんがとうとう名古屋から上京することになりました」
「いいじゃないの。どうせ、お前、暇なんだろ」
「いや、それほどでも」
「(西脇のモノローグ)前略おふくろ様。カマをかけても青木は白状しません。洋子ちゃんと付き合っていることを。もう一歩踏み込んでみようかと」
西脇は中学3年生の同級生の篠原洋子を好きになっていた。初恋だった。奥手だった。
青木は青木で、平塚高校に入ると、同じ時間帯の朝の下り東海道線で一緒になる平塚商業の篠原洋子。その洋子とわずか10分の間に、恋に落ちていた。
「まだ、サーフィンしてますか? 俺はとうとう挫折しました。今はウィンドにいっちゃおうか、なんて、いやいや、お恥ずかしい」

西脇のウィンド転向は嘘だった。
「俺だけ、なんだか道化芝居しているようで。なんだか富美ちゃん、そう富美ちゃんでもいいか。でも、洋子は許せるが青木は許せないわけで」
西脇は、富美ちゃんが上京する前に、その前に、洋子に浜辺で会おうと試みた。
浜までかけていった西脇。夕暮れの西浜海岸。一面オレンジ色のもや。南から匂う海藻の風。幾重にも連なる波打ち際。
やはり洋子が立っていた。素敵なシルエットだった。
一日波と戯れた洋子。夕陽に向かう後姿の洋子は眩しく。洋子の頭のはるか上に突き出したロングボードは南からの潮風を切り裂き。

西脇は思わずつぶやいた。
「いや、まいったなぁ。俺、まいった。困りますよこんなの」

(前略おふくろ様。俺はやはり初心貫徹っていうやつ、その初心を貫くわけで。富美ちゃんはどうか名古屋に帰ってもらいたいわけで)

とうとう西脇、ウインドには転向しなかった。
時おりしも、流行ったのが、ジョンミリアス監督「ビッグ・ウェンズディ」。
パドリングを覚えた。レギュラーかグ―フィーか迷ったがレギュラーで決めた。だが、ボードの上には立てなかった。
「やばいっス。ほんとうにやばいっス。洋子ちゃんに並ばないとやばいっス」
西脇は一生懸命だった。波にもまれては、塩水が鼻の中に入り、頭が痛くなり、鼻が出て。その繰り返し。
それでも、西脇の胸はキュンと切なく、それが唯一のエネルギー。

素敵な夕陽のシルエットを観ていたのは西脇だけではなかった。
波打際から10mほど離れ、サイクリングロードの手前、そこには葦簀があり。青木と洋子がその影に隠れてしゃがんでキスをしていた。
塩っぽい砂が唇に残ると、洋子は青木に言った。
「西脇君には、ないしょだから」

波と、素敵なシルエットと、西脇と、砂浜と、キスをする一組のカップルと。

西脇は、夏の初めになると、決まって一途にパドリングをしていた自分を思い出す。

2018.4.20 Kiyoshi Nishinomiya