2013
Dec 27
(Fri)

クリスマスからお正月


  クリスマスが過ぎると一気にお正月ムードが高まる。通りのコンビニの店先からツリーが片付けられ、今年はもう角松が置かれていた。
 30数年前、大学生の頃は、断然クリスマスであった。24,25日に照準を合わせどうやって好きな女の子に接近をはかるか。
 もう冬休みに入っているから学校では顔を合わせることはできず、ましてや私、体育会のスキー部。長野県の雪山で合宿が常だった。
 そこでドラマチックに、「同じ時間に同じ曲を聴こうね」なんて約束をしたこともあった。
 雪山は当然ホワイトクリスマスで、こっちは盛りに盛り上がった夜の11時。合宿所の廊下にあるピンクの公衆電話から電話をした。10円玉50枚用意して。都内までの長距離電話の通話料金が10円で10秒足らずの時代だった。
 しめしあわせた曲はジョンレノンのハッピークリスマス。
 <この電話の後、もう一度聴こうと思うんだ> そういう台詞も用意した。

 何度かコール音が続いた。長い呼び出し時間。
 <もう寝てしまったんだろうか>
 相手の家の静寂な夜が伝わってきた。
 と、唐突に受話器が持ち上がる音がし、野太い男の声がした。
 「はい」
 「あのう、かすみさんは、いらっしゃいますでしょうか?」
 「誰だ、あんたは」
 やばいです、父親が出てしまった。
 「大学で同級生をさせてもらっている者でございますが」
 「いったい何時だと思ってるんだ」
 せめて一時間、もう一時間早ければ、まだ起きていたんでしょうに。
 「はあ、すみません、夜分遅くに」
 すると父親はさらりと言って電話をがちゃりと切った。
 「いったい何時だと思っているんだ。うちの娘は、まだ帰って来とらん」
 ジョンレノンのハッピークリスマス。聴いたのはどうやら私一人だけ。
 じゃらじゃらと戻ってきた10円玉硬貨は48枚。20秒ほどのことだった。裸足に合宿所の廊下の冷たさがこたえたわけで。
 
 そんなことを幾度となく重ね、50歳を境にようやく、クリスマスよりお正月。そっちに趣きをおけるようになったのでございます。

2013.12.27 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Dec 13
(Fri)

予測は当たった


 古い家を解体するときまって予測していなかった事ことが判明する。
 強固な岩盤があった。コンクリートや瓦などの産業廃棄物が埋まっていた。古井戸があった。
 解体して更地になってから新築計画をたてるのであれば、その事態を回避するんだけれども。
 この度の現場では、古井戸が出てきた。
 新築計画はすでに出来上がり、確認申請も終わっている。その建築予定基礎の直下にあった。
 旧宅は築80年くらいのものだった。その昔、家屋の中で炊事場として使っていたと思われる。
 この度の施主のお父様がかつての記憶をたどり、 「ないはずはない」と、予測はしていたけれども、当たってしまった。さて、どうする?
 構造に強い細井ちゃんはあらかじめそういう基礎設計ではあったが。
 活かすか、埋めるか、施主様家族の緊急会議がもたれている。

2013.12.13 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Dec 09
(Mon)

前略おふくろ様


 

 見たテレビドラマで人生が決まってしまうことがある。
 
  かつて私と小中学校の同級生の西脇一郎(にしわきいちろう)は週末になるとそろりそろりと集まった。
 1975年10月17日からスタートしたテレビドラマ「前略おふくろ様」の放送を回想するために。
 私は大学受験浪人中で、西脇一郎は腰を痛め高校を卒業はしたものの職にもつかず家でぶらぶらしていた。お互い来年の自分など想像もつかない中で、主人公の萩原健一演じるサブちゃん・片島三郎(かたじまさぶろう)にぞっこん、まいっていた。
 「いやぁ、ごぶさたしています。音沙汰なかったもんっすから、洋子さんに聞いたら家で寝てるって。どうかしたんすか?」
 腰の具合もよく知っていたし、先週会ったばかりなのに、私はのこのこと一郎の家に出かけた。話の「洋子」というのは一郎が中学3年生の頃から好きになっていた同級生だった。彼女には新しい彼氏ができていたが、そのことは一郎は知らない。
 「洋子ちゃん、なんか言ってませんでしたか? おれのこと」
 「いやぁ。なんかって、なんスか?」
 「この頃気がついたんンすけど。色がね、色が変わったんじゃないかって」
 「・・・色って?」
 「アイシャドウ。ちょっとラメ、入ってませんか?」
 (モノローグ)前略おふくろ様。やばいです。洋子ちゃんの浮気がばれてます。

 私と一郎はすっかりサブちゃんになりきっていた。一人二役ではなく、それぞれが一役を演じ合っていた。

 一郎はその名前から「イチ」と呼ばれ、「サブちゃん」は絶対に自分の人生だと思い、とうとう翌年から麻布の天ぷら割烹の板前修業に行った。そして今では湯河原・海石留(つばき)の花板だ。
 私は番組が始まった日が自分の誕生日だったので、「おれだってこんな脚本書きてえよ」と、翌年日大芸術学部映画学科に入り脚本を専攻した。そして今ではケンジツな道を選んではしまったが。

 この11月。先に一郎からハガキが届いた。
 「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」という印刷文字に手書きの文字が続いていた。
 「前略西ノ宮様。美奈子の父が逝きました。美奈子の父は、オレがずいぶんと年上だったことや、片親で育ったことや、ウィンドサーフィンに挫折したことや、そういうこと全部受け入れてくれた人で。」
 一郎は職場の同僚の若い仲居さんと、それはそれはまさに番組そっくりの恋愛をして結婚していた。その父が亡くなっという。一郎のこの時ばかりのスタイルだった。
 (モノローグ)前略おふくろ様。先に越されました。オレはあなた様の訃報をドラマチックに伝えようという意気込みだったのですが。

 今年の5月、私の母も末期の卵巣癌を半年患った末、他界していた。

 (モノローグ)前略おふくろ様。先に越されました。オレはあなた様の歳が83歳で、来年84歳には干支の午(うま)年を迎えるはずでした。そうした中で新春のお慶びは控えさせていただきますと、オレはあなた様の訃報をドラマチックに伝えようという意気込みだったのですが。先に越されました。ましてやこっちは本当の母親で、あっちは義父なわけで。重みっていうか切なさっていうか、そういうもんはこっちが上なのに。あと出しは、ジャンケンだって弱いです。

 これから先、私と一郎のふたり一役はまだまだ続く。

2013.12.09 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Dec 06
(Fri)

三軒隣りの桑田くん


 NHKの天気予報士の女性は先週まで「秋」と言い、今週に入ると「冬」と言った。
 この時期になると思い出すことがある。42年前の中学3年生の12月のこと。
 私の家の三軒隣りは桑田佳祐くんの家だった。ひとつ年上の桑田くんは大学進学校の鎌倉学園に入学。それでも、部屋には「天地真理」のポスターが貼られていた。
 高校受験前の私の部屋は殺風景をよしとし、かろうじて、どうやって手に入れたのかは覚えていないが「1972札幌オリンピック」のポスターはあった。
 そのことは桑田くんの母親に見透かされていた。
 本当は私だって「天地真理」が大好きでTBSの「時間ですよ」は欠かさず見ていた。

 暮れも押し迫った頃、桑田くんの家の犬が私の家の犬を噛みつく騒動が持ち上がり、桑田くんの母親が不二家のケーキを持ってお詫びに来た。
 桑田くんの母親が玄関先でしゃべっている声が聞こえた。
 「お宅のおぼっちゃまくんはお勉強がたいそう出来て。まぁうらやましい」
 翌日札幌オリンピックをはずし、変えたのは雑誌「スクリーン」の付録のウォーレンピーティーとフェイダナウェイの「俺たちに明日はない」
 それでも「天地真理」は貼れなかった。
 この差である。
 この思い切りの良さ。ここに桑田くんに追随できなかった訳があると、私、決まって毎年思う。  

2013.12.06 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Dec 06
(Fri)

腰越の間宮さん


 先月11月の末の日曜日、間宮さんの地鎮祭が行われた。
 神奈川県鎌倉市腰越海岸から200メートルほどのところが建設地。
 潮風、潮騒、カモメ、つり人、サーファーなど。海岸にまつわる事柄はなんでもありの場所だ。
 実際、この地鎮祭の日も晩秋だというのに相当数の観光客が江ノ電駅からすり抜けていった。
 そんな場所に家を建てることになった間宮さんご一家。来年の夏は渚のシンドバッド。昭和30年代生まれの私はそう連想してしまう。

2013.12.06 Kiyoshi Nishinomiya