
私は1961年式のフォード・ピックアップに乗っている。製造されてから何人に乗り継がれてきたかはよくわからないが、メーターは96,000マイルをカウントしている。多少エンジンからオイルの滲みはあれけれど、これといった故障もなく、よく走る。車検を受け持っているおなじみの自動車工場のメカニックからも、この手のクルマの中では当たりですぜとほめられ、当然、134号線なんかを走ろうものなら、よくぞ50年もたった今でもと振り返られる。ステアリングにもブレーキにもパワーアシストはなく、エアコンもなし。いまやラジオだって壊れている。キーをひねりチョークを絶妙に効かせて目覚めるエンジン。排ガスのにおいがほどなく室内にたちこめる。この空気をハードボイルドと言わずして、なんと言う。
1961年と言えば、あのジョン・F・ケネディが大統領に就任した年だ。歴史的な外交施策でキューバ危機を回避し、マリリン・モンローをして「ハッピーバースデイ・トゥー・ユー」を歌をしめ、そして1963年ダラスであっけなく暗殺された伝説のアメリカン・プレジデントの始まりの年。その一部始終をこのフォードは備えているラジオから奏でてきたはずだ。
私はこのフォードを3年前に目をつけ2年年前に手に入れ、そしてなんの迷いもなくナンバープレートに1961を選んだ。
半年前、私はこのクルマに、「どちらが先にくたばるかねぇ」と親愛の情を込め、欠落していたリア・バンパーをわざわざフォード正規代理店よりおごらせた。10日間ほどで納車され、リアに回って新品のメッキ・パンパーを見ていた私に、帰ろうとしていた納車のドライバーが無造作に言った。
「ナンバープレートは1964に変えたほうがいいっすよ」
なんのことかと思案したが、たちまち不快な予感がよぎった。
「このクルマ、1964年式のもんすよ。フロントグリルは確かに1961年製なんだけど、誰かが後付けしてますね。刻まれている車体番号のプレート、グリスで真っ黒だったからふき取って見てわかりましたよ。こっちは変えられないから、ナンバープレート変えたらいいんじゃないですか」
ふぅーっ、と太いため息がひとつ、思わず出ましたな、私から。それでも私は落胆ぶりを彼に悟られないように新品のメッキ・バンパーをしげしげと見続けていました。それしかできませんでしたもの。
2011.6.19 Kiyoshi Nishinomiya

小林千哲(ちあき)・由佳(ゆか)さんのお宅の納戸は天井、壁ともにパイン材仕上げ。ちょっと贅沢。わずか二畳ほどの面積に千哲さん、こだわりを見せた。
「何をお入れになるんですか」
「まずスキーですね」
「へぇー。スキーですか。私も大学時代、スキー部だったんですよ。ご夫婦そろって行かれるんですか」
「行きません」
「じゃ、千哲さんだけ、お仲間と」
「行きません」
「最近まで行っていた?」
「10年は行ってませんよ。寒さには、ぼかぁ、弱いなぁ」
パイン材仕上げの納屋。坪単価にすると、ここだけコスト、お高いのです。塗装材もしっかりシッケンズ。なんたって石川塗装さんの手による刷毛ぬり作業です。石川塗装さんはなかなかの優れ職人。二重丸。輸入住宅の見栄えは最後の塗装仕上げの出来映えによるところが多い。そこで弊社の物件はすべて石川塗装さんなんです。
小林千哲さん、そのこだわりの納戸に10年前のスキー板をまず入れることを考えたんですねぇ。
「そういうスキー板って、私にもあります。雪解け水と大学時代の思い出が染み込んだやつ」
「ぼかぁ、スキー部でもなかったから。そういう思い出は、ありません」
んー、小林千哲さん、なんかこう、会話の歯車が合わないのは、私の気のせいか。
「スキー板って長いですよ。じゃまでじゃまで。納戸にしまうのが一番です」
よもやの勘、当っちゃいないかと思い始めたころ、奥様の由佳さんが口を挟んだ。
「ごめんなさいね、この人、すっごくユニークなんです。笑っちゃうくらい。会社の余興でサザエさん役やって、それがねねね、拍手喝采だったの。まだ私たち結婚前のことで。それでねねね、友達に結婚話うち明けたら、誰と?って聞くのね。えっー!知らなかったの?私、小林千哲と付き合ってたの。誰それ、小林千哲って。えっー、知らないの?ほらあのサザエさんよ。ううう嘘っぉ!やだぁ、由佳あんたったらサザエさんと付き合ってたのーっ!知らなかったぁ。えっ!?まさか結婚するんじゃ。だから、結婚するって言ったじゃないのよ、なに聞いてんのよ、、あんた」
すると、千哲さんがにんまり笑った。
「ぼくたち、付き合ってること、あんまり知られていなかったんだよねぇー」
会話の歯車が合わなかったわけでは、けっしてない。私の昭和31年式の受信アンテナに欠陥があったようだ。私、今年で55歳になります。
2011.6.19 Kiyoshi Nishinomiya