2012
Mar 17
(Sat)

「ドゥーパ!」関根編集長の野望



 
 学研のDIY雑誌「ドゥーパ!」の関根編集長の野望がもう一息のところまできた。
 小田原市早川のみかん畑跡地1200坪をまんまとただ同然で手に入れ、そこにテーマパーク「ドゥーパ!ビレッジ」を建設しようというもの。
 テーマパークといえば東京ディズニーランド。運営のオリエンタルランド発祥は1960年に京成電鉄が浦安沖の埋め立て権を手に入れたとこから始まる。三井不動産に声をかけ260万坪を埋め立てた。1983年開園まで23年の歳月。
 さて関根編集長、計画が持ち上がってわずか半年足らず。野望なるか。
 障害は小田原市。今後の小田原市との交渉に冷や汗を流す。
 「私関根は調整区域に考える工作物を順次建ててまいりたいのです」
 調整区域とは原則床面積10㎡を超える工作物は建ててはいけないところ。
 んー、なにかよい手はないもんだろうかと、私、連日相談を受け「頑張りなさいよ」と励ますだけだったが、この頃になって、「関根ちゃん、そりゃあ先用後利の手だよ」
 「なんですか、それ?」
 「富山の薬売りの商売だよ。先に使ってもらい、お代は後から頂戴する。この信頼関係だね」
 「ははあ、なるほど。それで先用後利という四文字熟語なんですね」
 一向に解決策にはなっていない会話。
 まだまだ続く。

2012.3.17 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Mar 16
(Fri)

ちがさきサイダー


 

  「ちがさきサイダー」が4月1日(日)から発売される。レトロなラベルが昭和の懐かしい味を思い出させる。
 ダイハツ・ミゼット、金鳥蚊取線香、森永ミルクキャラメル、丸美屋のりたま。これらが活躍していた時代。飲み物では三ツ矢サイダーかバヤリース・オレンジか、私たち子供は迷っていた。
 王冠を栓抜きで開けるだけで大人の味がした。ビー玉のラムネは一夜にして人気がなくなった。
 三ツ矢サイダーもバヤリースも桶の水じゃなく冷蔵庫で冷やされた。友達の家々では母親がお盆にコップと一緒にのせてきた。
 そういう時代だった。
 その味が詰まったサイダーが茅ケ崎ブランドで発売される。 

 発売元/茅ケ崎市商業協同組合(電話0467-89局2670番)
 卸販売のご用命は/一軒屋酒店(電話0467-85局4175番)

2012.3.16 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Mar 12
(Mon)

西山くんが入院


 

 弊社社員・西山くんが入院した。
 おとといの土曜日の晩に急におなかかが痛みだし、奥さんの千鶴ちゃんに東部総合病院の夜間外来に連れて行ってもらったという。昨日の昼近く本人から電話があった。
 「ただいま病院です。盲腸でもなく腸捻転でもなく腸が腫れていて、このままでは腹膜炎をおこすんじゃないかと医者は言うんです。緊急に手術するようです」
 腸の手術は手順がある。腸管の中を空にするため一週間ほど点滴だけで過ごす。腸の悪い部分を切り取り繋ぐ。また二週間ほど点滴だけで過ごす。その三週間というもの腹筋が弱ってくるので笛を吹く。ベッド上での筋トレである。
 病名はまだはっきりと伝わってきてはいない。原因もさだかでない。家族も飼っている猫もさぞかし心配しているはず。
 おととしは左手を骨折した。さらにその昔、餅つき大会で頭にきねが降ってきた。もっと昔にはバイクのおばさんと交通事故を起こした。その都度その都度大事には至らずに済んでいるが、この度もそうあればいいと思う。

2012.3.12 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Feb 09
(Thu)

マーヴィンのカタログに


 アメリカにマーヴィン社という窓メーカーがある。そのカタログ、何度となく作りかえられても載せられている家がある。いつだったか同社のカレンダーの1月の写真にも使われていたから、マーヴィン社お気に入りの施工例にある。
 私たちの家にもマーヴィン社の窓を採用することがあるが、かくも夢が形に描けるものだねぇ、と恐れ入ってしまうほどの家だ。
 体が人の心の小さな器だとすれば、家とは人の心の大きな器。
 この家からはそんな台詞がこぼれてしまう。 

2012.2.09 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Dec 30
(Fri)

フライング


 今日は12月30日。今年の私の仕事は今日でおしまい。明日からオフ。
 フライングなんだけれども、今日のうちに新年のごあいさつ。
 
 幾多のハウスメーカー、ビルダーがある中で、弊社をお選びいただきありがとうございました。
 小学校に入りたての頃、テレビではアメリカドラマの「名犬ラッシー」。コリー犬が欲しくて欲しくて、親にせがんだんですが、父親いわく、「ラッシーよりすごいものがある」と連れて行かれたのが東京タワー。そこで飲まされたのが、褐色のサイダー。
 「どうだ、すごいだろう、コカコーラっていうんだ」
 コカコーラ初体験でございました。以来しばらく、私の胸の内ではコリー犬よりうわまわっていたわけで。
 しかし、後日談ではありますが、私の父親は「ラッシー」ではなく「プラッシー」と勘違いしておったようです。
 タケダのプラッシー。
 2012年も、スタッフ一同全力をあげ、キャンベル・スープに匹敵する暖かい家を作る所存にございます。
 なにとぞよろしくお願いいたします。

2011.12.30 Kiyoshi Nishinomiya