2012
Jul 02
(Mon)

レッドシダーの木箱


 建築用建材で弊社西山くんが木箱を作った。レッドシダーの木箱。ウッドデッキはなどに用いられる比較的小ぶりな木材。表面は製材過程で生じるラフなカット。専門用語では「ラフソーン」の表面という。粗いのこぎり跡という語源。香りはレッドシダー特有の木の匂い。なかなか癒される。
 試作的に10個余りを作った。これから南湖モデルハウス併設のショップで販売の計画中。ラベルを貼って、さてさて、1000円くらいの価格でいいんだろうか。

2012.7.02 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Jun 28
(Thu)

TOKOさんのSUP専門誌


 TOKOさんのSUP(スタンドアップパドルボード)専門誌は7月末の創刊だった。6月末は間違い。しかも雑誌名も「PADDLE!」だった。出版社は間違いなかった。マリン企画から。
 私、しばらくカウボーイを気取り馬を自宅で飼うことができるかと模索していたが、どうやら難しいことがわかった。湘南茅ケ崎で北海道帯広のような生活を求めた基本計画に誤りがあった。湘南茅ケ崎ではやはり海に依存する生活を送らなければモッタイナイ。55歳からの突破口をこっちに移行しようかと思う。

2012.6.28 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Jun 13
(Web)

西山くんの家の猫


 弊社社員の西山くんの家には二匹の猫がいる。名前も性別も知らないが、どうやらひょうきんな質のようである。どこからか拾われてきてここではじめて人間と生活したようである。しかもそれが西山くん一家だった。西山くん一家はきわめて穏やかな家族だが、それでもはじめ猫がそそうをすると厳しくペナルティを科していた。それゆえ猫はひょうきんな質を備え人間と共存を模索してきたのか。とんと見当がつかぬ。

2012.6.13 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Apr 07
(Sat)

Wrangler13MWZ


  もとLee・Japanの藁科氏からメールが届いた。
 「Lee製のジーンズでかっこいいワークウェアを作ろう」の担当だった方。弊社と共同作業の途中でLee・Japanを退職。ただいま大阪にいる。
 「途中ではありましたが後任の高野に、ニシノミヤの情熱はまだ消えていないと伝えます」
 情熱の沸点を保つには気力・体力・知力それにスケベ心が必要だと菊池寛は唱える。菊池寛と言えば「父帰る」の作家にして文芸春秋の創設者。小森和子を彼女にしていた時代もあった。
 私にそうした力が持続しているかと思えば、あり、しかるに私も俗物。このごろUSA・Wraglerに心が泳いでいる。定番中の定番Wrngler13MWZも買った。
 履いてみると、Leeよりこの頃の気持ちにフィットしている。
 「後任の高野です。藁科から引継ぎました」と急に来られても。
 藁科氏から「ニシノミヤは浮気しました」と伝えてもらうのが都合がいい。

2012.4.07 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Apr 06
(Fri)

Leeと共同作業の顛末


 「かっこいいジーンズのワークフェアを作ろうじゃないか」と去年からLee・Japanと共同作業をしていた。
 私、Leeの定番「アメリカン・ライダース」の続編「アメリカン・ビルダーズ」というコンセプト・ノートを作ったところ、大変にLee・Japanの面々にウケていた。
 あちらの担当は藁科氏。一年かけて試作品を作るまでに至った。
 アメリカハウス建築を得意とする私たちのアイディアも採用され、それはそれはかっこいいワークウェアの試作品ができたのが去年の暮れのこと。
 限定生産ながらもラベルにはwith Nishinomiyaの名前も入ることになっていた。
 いいじゃないかねぇ、弊社の名前がジーンズに載るなんて。
 ところが、こういういい話に限って幻に終わるというのが世間相場か。
 担当の藁科氏が「私、退職いたします」とあいさつに来たのが今年の2月初旬のこと。聞けば3月末までだという。その間は送別会に次ぐ送別会がいっぱいのスケジュール。新しいジーンズは、私、かかわることできませんですなぁ。残念ですが。
 後任は高野氏だというが、まだやってこない。 

2012.4.06 Kiyoshi Nishinomiya