2011
Jul 31
(Sun)

どこむいてルンバ


 ふと思い出した。
 もう20年以上も前、ちびまる子ちゃん「おどるポンポコリン」が一世を風靡したころ。私にもこのテの曲のアイディアが浮かんだことがあった。
  「どこむいてルンバ」
 ワンレンの髪、かわいいねとおだてても、いうこと聞かない女子社員の斉藤由美。
 さっきから気を使って話しているのに、出入り口のお客に目が泳ぐだけ。キャバクラのヒロミちゃん。
 フロ上がり、したたる足跡。裸のまんま前を素通りしていった結婚三年目のかみさん。
 おいおい、まったくどこむいてルンバ。
 ルンバとはもともとキューバのアフリカ系民族から生まれたラテン音楽。コンガのパーカッションとヴォーカルが掛け合う陽気なリズム。
 課長島耕作にはなれない30男の悲哀をユーモラスに描こうとしたが、植木等の「スーダラ節」にはとうていかなわぬコンテンツ。未発表としました。
 時を20年余り隔てた今日。人の行動にはあまり口を出さな性質ですが、震災以後の政治家の方たち。この方たちに、「どこむいてルンバ」のタイトルを捧げたい。

2011.7.31 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jul 30
(Sat)

西川さんの家が遠くに見える


 今年一月に竣工した西川英男(ひでお)さんの家が遠くに見える。
 おいおい、ドアノブ逆さじゃないのこれ。電気配線が間違っているらしい。畳の縁の柄は確認してないって。塗装工事は今日から入らないと間に合わないよ。などなど。工事中、各工程にはトラブルはつきもの。火事場のような大騒ぎ。自由に出たり入ったり。それが当たり前。
 ところが、いったん引き渡しをすると、そこは私たちにとって治外法権の領域。
 引渡した家が視界に入ってくる。別れた彼女が向こう側のプラットホームを横切っていく。よく似ている瞬間です。

2011.7.30 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jul 29
(Fri)

YUMA(ユマ)さん地鎮祭


 
  
 アメリカ・アリゾナ州ユマをモチーフにした住宅建築を「ユマの弾き屋」というタイトルをつけてをプレゼンしたところ、そのまま施主の方をYUMA(ユマ)さんと呼ぶようになった。正体はペンネームを持ち何冊が詩集の著書を重ねているアーティストさんだが、「いつまで謎のままでいられるかしら。ホームページでは上はYUMAでお願いしますよ」
  そのYUMAさんの地鎮祭が、昨日、行われた。
 「ユマの弾き屋」。サブタイトルは「その家からはユマ族の楽器の調べが聞こえるという」
 アメリカ建築様式上ではヴァナキュラー、土着という意味。こんな家が出現すれば、湘南のミステリー。ただいまブレイク中の一級建築士細井ちゃんが大健闘。

2011.7.29 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jul 28
(Thu)

横山さん地鎮祭


 昨日、7月27日、横山さんの地鎮祭が行われた。。先週の予定だったが台風の影響で今週に持ち越された。
 それでも朝から怪しげな空模様。時折、雨もパラパラ。またもや延期かと思われたが、第六天神社の神主さんの判断を仰ぎ小雨決行となった。
 「雨もないと人間生きていけませんらか」とのありがたいお言葉を、私、「悪もないと人間生きてませんから」と聞こえ、どうも思いおあたるような、しかし、痛くもない腹を探られているような気分に沈黙。
 そんな面持ちを察した神主さん、「もちろん、悪行も人が為せる業ですから」と。よけいに腹が痛くなり。
 横山さん、人は見かけによりませんよ。私は善人丸出しの生き方をしていますよ。立派なシンプルアメリカンに仕立てますのでご期待下さいまし。

2011.7.28 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jul 27
(Web)

茅ケ崎の海辺の知人から


 先日、もうかれこれ40年ほど付き合いのある70歳半ばの漁師さんから相談があった。
 「この歳になって怖いもんはもう何にもないんだけどね、津波で家が流されてしまっては、息子らが困る」
 海辺の漁師屋が自宅。
 茅ケ崎海岸の砂浜にある。波打ち際から150メートルぐらいのところ。海抜ゼロメートル。
 「引っ越そうと思ってんの。でも、ここは売るに売れない。ほかに買ってくれる人はいないだべさ」
 震災以後、海岸沿いの人たちが北へ北へと移動していることは、この頃、聞いていた。
 「そんでね、西ノ宮さん、」
 漁師さんから二の句がするりと出た。
 「お宅の空いている土地と、取り替えてくれないだべか」
 呼び出しがあった時から予測はしていた。的を得ていた。思わず、うなずこうとした。
 先代から引き継いだ自宅は立派にあるが、初めての思いだった。自分の好みの家を建てて住んでみたいと。潮と波と風だけの環境。庭はいらない。目の前が海だから。こんな場所で朝目覚めたら。地引網を手伝って、頑張った分だけ魚をもらい、冷蔵庫にしまう。仕事から戻ると自ら調理し、そうだ、日没までには戻ろう。サカナを作り、夕陽を眺めながらビールを飲もう。波音を聞きながら風呂に入ろう。夜、好きな音楽を聴き、好きな本を読み、好きな人にメールを書き。9時には寝てしまおう。明日の朝はまた地引網があるから。
 しかし、浮かんだ家内の顔が、こう言っていた。古今東西、どこのかみさんもこれが最後のおどし文句。
 「なにをばかなことを考えているの。離婚してからにしてちょうだい」
  答えを待つ漁師さんに、時間稼ぎの返事をした。
 「年内まで、年内いっぱいまでに、この12月までにもう一度お目にかかりましょう」
 「いいさ、大地震は年内にはこないだべさ」
 8月9月10月11月12月。この5ヶ月間で真っ向勝負にでるか、それとも東京スカイツリー級の建築商談を成立させ、「でかした亭主。なんでも好きにして」と言わしめるか、ふたつにひとつ。これからの力量が試される。

  

2011.7.27 Kiyoshi Nishinomiya