2011
Jun 19
(Sun)

1961年フォード・ピックアップ


私は1961年式のフォード・ピックアップに乗っている。製造されてから何人に乗り継がれてきたかはよくわからないが、メーターは96,000マイルをカウントしている。多少エンジンからオイルの滲みはあれけれど、これといった故障もなく、よく走る。車検を受け持っているおなじみの自動車工場のメカニックからも、この手のクルマの中では当たりですぜとほめられ、当然、134号線なんかを走ろうものなら、よくぞ50年もたった今でもと振り返られる。ステアリングにもブレーキにもパワーアシストはなく、エアコンもなし。いまやラジオだって壊れている。キーをひねりチョークを絶妙に効かせて目覚めるエンジン。排ガスのにおいがほどなく室内にたちこめる。この空気をハードボイルドと言わずして、なんと言う。

1961年と言えば、あのジョン・F・ケネディが大統領に就任した年だ。歴史的な外交施策でキューバ危機を回避し、マリリン・モンローをして「ハッピーバースデイ・トゥー・ユー」を歌をしめ、そして1963年ダラスであっけなく暗殺された伝説のアメリカン・プレジデントの始まりの年。その一部始終をこのフォードは備えているラジオから奏でてきたはずだ。

私はこのフォードを3年前に目をつけ2年年前に手に入れ、そしてなんの迷いもなくナンバープレートに1961を選んだ。

半年前、私はこのクルマに、「どちらが先にくたばるかねぇ」と親愛の情を込め、欠落していたリア・バンパーをわざわざフォード正規代理店よりおごらせた。10日間ほどで納車され、リアに回って新品のメッキ・パンパーを見ていた私に、帰ろうとしていた納車のドライバーが無造作に言った。

「ナンバープレートは1964に変えたほうがいいっすよ」

なんのことかと思案したが、たちまち不快な予感がよぎった。

「このクルマ、1964年式のもんすよ。フロントグリルは確かに1961年製なんだけど、誰かが後付けしてますね。刻まれている車体番号のプレート、グリスで真っ黒だったからふき取って見てわかりましたよ。こっちは変えられないから、ナンバープレート変えたらいいんじゃないですか」

ふぅーっ、と太いため息がひとつ、思わず出ましたな、私から。それでも私は落胆ぶりを彼に悟られないように新品のメッキ・バンパーをしげしげと見続けていました。それしかできませんでしたもの。

2011.6.19 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jun 19
(Sun)

小林千哲(ちあき)さんの納戸


小林千哲(ちあき)・由佳(ゆか)さんのお宅の納戸は天井、壁ともにパイン材仕上げ。ちょっと贅沢。わずか二畳ほどの面積に千哲さん、こだわりを見せた。

「何をお入れになるんですか」

「まずスキーですね」

「へぇー。スキーですか。私も大学時代、スキー部だったんですよ。ご夫婦そろって行かれるんですか」

「行きません」

「じゃ、千哲さんだけ、お仲間と」

「行きません」

「最近まで行っていた?」

「10年は行ってませんよ。寒さには、ぼかぁ、弱いなぁ」

パイン材仕上げの納屋。坪単価にすると、ここだけコスト、お高いのです。塗装材もしっかりシッケンズ。なんたって石川塗装さんの手による刷毛ぬり作業です。石川塗装さんはなかなかの優れ職人。二重丸。輸入住宅の見栄えは最後の塗装仕上げの出来映えによるところが多い。そこで弊社の物件はすべて石川塗装さんなんです。

小林千哲さん、そのこだわりの納戸に10年前のスキー板をまず入れることを考えたんですねぇ。

「そういうスキー板って、私にもあります。雪解け水と大学時代の思い出が染み込んだやつ」

「ぼかぁ、スキー部でもなかったから。そういう思い出は、ありません」

んー、小林千哲さん、なんかこう、会話の歯車が合わないのは、私の気のせいか。

「スキー板って長いですよ。じゃまでじゃまで。納戸にしまうのが一番です」

よもやの勘、当っちゃいないかと思い始めたころ、奥様の由佳さんが口を挟んだ。

「ごめんなさいね、この人、すっごくユニークなんです。笑っちゃうくらい。会社の余興でサザエさん役やって、それがねねね、拍手喝采だったの。まだ私たち結婚前のことで。それでねねね、友達に結婚話うち明けたら、誰と?って聞くのね。えっー!知らなかったの?私、小林千哲と付き合ってたの。誰それ、小林千哲って。えっー、知らないの?ほらあのサザエさんよ。ううう嘘っぉ!やだぁ、由佳あんたったらサザエさんと付き合ってたのーっ!知らなかったぁ。えっ!?まさか結婚するんじゃ。だから、結婚するって言ったじゃないのよ、なに聞いてんのよ、、あんた」

すると、千哲さんがにんまり笑った。

「ぼくたち、付き合ってること、あんまり知られていなかったんだよねぇー」

会話の歯車が合わなかったわけでは、けっしてない。私の昭和31年式の受信アンテナに欠陥があったようだ。私、今年で55歳になります。

2011.6.19 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jun 18
(Sat)

無農薬野菜


花壇の片隅に種をまいたハツカダイコンが育ちました。ハツカどころじゃないね、もうすでに一カ月はたちますか。大きく大きくしてから食そうと。

しかし、私の家内のたっての希望は無農薬栽培。消毒してはいかん、と。私、ちょっとぐらい消毒液がかかっていてもさっぱり気になりませんが。だいたいそんな超有害な消毒液が野菜の害虫駆除剤として売られているわけがない。

ふと気がつけば、いつ葉っぱを食べやがったんじゃろか。虫の姿はどこにも見えず。ハツカダイコンの葉っぱは見るも無残、葉脈の骸骨姿。葉緑素でしょ。植物が大きく育つには葉緑素が不可欠。植物の成長の三要素というのがございました。温度、水、葉緑素。いやちがうね、もとへ。温度、水、肥料、でしたっけ。あれ、それとも日光?

葉緑素です。葉っぱは葉緑素をぎっしり満載しなくっちゃいけないわけで。これじゃ、ハツカダイコン、まるまる太れませんです。もう限界ですなあ、無農薬野菜。

2011.6.18 Kiyoshi Nishinomiya

2011
May 09
(Mon)

カロリーナちゃん


  梨奈カロリーナちゃん。インターナショナル・スクールに通う13歳。片瀬山モデルハウスに遊びにきました。ファッションモデル。もうすでに170センチぐらいじゃないかなぁ。お母さんもやはりファッションモデル、森下久美さん。お父さんはイタリア人、都内でイタリアンレストランを経営する有名シェフ氏。カエルの子はカエルですねぇ。ツーショットにおさまった私、思わず腕組みだけね。
  30年来の古き友人にしてライバルの産婦人科医の宮崎豊彦先生の奥様が隆江さん。隆江さんはそうとうな肩こり首こりに悩まされており。「そいつぁ、気の毒だねぇ。私の腰痛を一回で直したいい整体師がいるのだが」とニューオータニで店を構える骨董美術商の各務(かがみ)老人から紹介されたのが赤沢啓子先生。
  私も相当な肩こりでともとすると頭痛につながってしまうくらい。で、隆江さんから「いい先生がいるのよ、効くのよ、潔さんもかかってごらんなさいな」と、今度は私が赤沢啓子先生をご紹介にあずかり。赤沢啓子先生と森下久美さんとは古くからのお友達。森下久美さんのお嬢さんが梨奈カロリーナちゃんというわけで、私とカロリーナちゃんがつながったのです。
 そこで、来シーズンは私、カロリーナちゃんにスキーを教えてあげるのですよ。いいでしょ。なんたって私、大学時代れっきとした体育会のスキー部でしたから。芸は身を助けるとはこのことですな。

2011.5.09 Kiyoshi Nishinomiya