2011
Jun 24
(Fri)

10年前に作られたニシノミヤ・ストリート


もうかれこれ10年はたつんでしょうか、鈴木さんのお宅が建てられたころのニシノミヤ・ストリート。先代がまだたっしゃでございましたから、12-3年前ほどになるんでしょうか。光陰矢のごとし。あっという間ですねぇ。

前日、ある席でご一緒した70歳台の男性の方のお話。

「西ノ宮さん、おいくつ?そう、もうすぐ55歳になられるの。50歳代は一年が短いですよ。10歳のうちは一日が長く、20歳は一週間が長く感じられ、30歳は一カ月、40歳になると季節が短い。50歳、一年が早く過ぎます。60、70歳ですか?そりゃあ、一生が短く感じられるんでございますよ」

んー、ほとんど老子思想のようなお言葉でございました。

2011.6.24 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jun 24
(Fri)

ニシノミヤ・ストリートの看板


ニシノミヤ・ストリートの看板。あれは、私がAdobeのイラストレーター8.0を駆使してデザインしたのです。デザイン当初モチーフとしたものはハーシーズのチョコレートの包み紙。いかにも古き良きアメリカのひとコマを狙ったわけですが。プリントアウトして看板に張り付けの手配をしてくれたのがクロスポイントの石井氏。その石井氏いわく、

「へぇー、明治ミルクチョコレートのパロディですか」

石井氏とは遠からず近からず、そんな距離感を保ってお付き合いしたいもんです。

Adobeのイラストレーター8.0以来、幾多のグレードアップ版が重ねられ登場してきましたが、使い慣れてしまった8.0からはとうとう脱却できず、いまだもってそのまんま。おそらくは生涯使い続けるんではなかろうかと。

「ニシノミヤ・ストリート」。こんな名前のストリートなんて地図上にあろうはずもなく。もちろん「雄三通り」「サザン通り」以上にもなく。弊社で宅地開発した茅ケ崎市道を、勝手に自らそう呼んでいるだけなんであります。仕事、できましたら楽しみながらやってまいりたいものでございます。

2011.6.24 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jun 24
(Fri)

井戸があります


茅ケ崎南湖モデルの室内に井戸があります。立派に使え、井戸水が出ます。

昭和40年代、弊社先代西ノ宮昇(のぼる)はこの場所でガソリンスタンドを営んでいました。その名残です。

その頃の車と言えば、ニッサン・スカイライン2000GTRだとかいすゞべレットだとか三菱ギャランだとか。弊社先代はそうした車の洗車サービスにと井戸を掘り、水を文字通り湯水のごとくふんだんに使っていたわけで。

私は、20年ほど前のキリン一番搾りの緒方拳出演のコマーシャル、これが好きだった。

梅雨も明けキラキラとした夏、浴衣姿の緒方拳が笑顔で昔ながらの手押し井戸で水をくみ上げるのです、額に汗をかきながら。井戸水を受けとめた木の桶には、ごろんとしたすいかと一番搾りの缶がぎっしり。緒方拳、見上げると、そこには集まってきた仲間がおり。その顔にかかる桶の水から反射したゆらぎ。BGM/タッタカ、タッタカ、タッタカ、タッタカ・・・。 SE/風鈴チリーン。朝顔も咲いていたか。

そんなモチーフを家の中に取り入れてみようと試みたのが、茅ケ崎南湖モデルハウスの井戸。しかしバリバリのアメリカン・ハウスですから。すいかやビールは冷しませんがCoca-colaは冷します。陽のゆらぎではなくネオン管サインの水面。緒方拳は浴衣でしたが、やはり私は、アロハがいいですなぁ。

2011.6.24 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jun 24
(Fri)

パイナップルはウェルカム・サイン


古くからアメリカには、玄関のポーチ柱や門扉などにパイナップルをかたどった装飾品を掲げるという習慣があります。そこで弊社モデルハウスにも、わけもわからず飾りましたが。

しかし、なぜパイナップルなんだろうか?原産国は北米ではなくアフリカとかアジアあたりの熱帯地方と思えるが。

で、アメリカのパイナップル装飾の習慣について文献資料を探してみると、

「捕鯨船の船長は、その家族や友人へのプレゼントとして、エキゾチックなパイナップルの果実を持ち帰った。彼らは、それを人目につくところに置き、我が家はすべてのための食べ物や飲み物を保持しているという公告に務めた。やがてパイナップルはホスピタリィーの象徴となっていった」

と、ありました。わずかこれだけ。

捕鯨漁の帰りに熱帯地方のパイナップルをお土産に持ち帰ったことが、いわれの始まりらしいけれど、捕鯨とパイナップル?捕鯨ってノルウェーとかロシアとかの北極海あたりの漁じゃなかった?いやいや、捕鯨は赤道付近でも立派に行われていたわけですねぇ。

パイナップルは、いつの間にかすべての食べ物や飲み物の代名詞。ホスピタリティーとは「思いやり」「おもてなし」のこと。

「私たちの家には、南の珍しい果物すらあるあるんですの。だから食べ物・飲み物がいっぱいいっぱい。もし、おなかをすかした方がいらしたら、どうぞお気軽に寄っていってくださいましな」という意味。ウェルカム・サインだったんですねぇ。

2011.6.24 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jun 20
(Mon)

アメリカ建築史


アメリカ建築史はアメリカ大陸上の民族移動の歴史と重なる、と私は思うのです。

500年余り前コロンブスがこの大陸を発見してから、イギリス人、フランス人、ドイツ人、オランダ人などなど幾多の国の人々が新天地を目指して入植した。

海を越え未開の地で暮らす彼らは衣食住の一切合財を船に載せてやってきた。着るもの、布と針。食べるもの、とりあえずのパンと蒔く種。これらは簡単に船室にしのばすことはできたけれど、さすがに「住」の家、こいつぁかさばりすぎましたでしょう。だから自国で建てられている家の作り方「設計図」を持ち込んだ。

東海岸から入植した民族は西へ南へと移動し、その道中で異国間の男女が恋をし結婚をする。体に流れる血筋も混じり合っていくように、おらが国の「設計図」も交じり、伝統がデフォルメされていく。

民族移動の足跡に建築史がすっぽりと重なる。こんな国、きっとアメリカにおいて他にはありませんでしょうなぁ。

2011.6.20 Kiyoshi Nishinomiya