2014
Feb 04
(The)

新しいニシノミヤ・ストリート


 人の顔は左右対称ではないと言われている。実際、自分の証明写真を真中から鏡映しにしてみると違った顔に見える。ほとんどの人がそのようだ。
 だが、オードリー・ヘップバーンはそうではなかったらしい。左右対称の顔立ち。だから、あの清楚感がよけいに引き立ったのだという。
 茅ケ崎市の鶴嶺通りに、今年、新しいニシノミヤ・ストリートを造る。
 狙いは、
 「just like Audrey、for 1000 Families」
 「まるでオードリーのように、1000の家族のために」
 1000もの区画が出現するわけではないが、多くの区画を予定。そして、オードリー・ヘップバーンのように清楚感漂うきれいな街並みを目指す。
 そう大上段かぶると、大体が失敗する。小説にしても映画にしてみてもテーマが壮大だと結末がつまらない。
 それでもこの度のニシノミヤ・ストリートは構想から30年。すでにシナリオは練りに練られている。

2014.2.04 Kiyoshi Nishinomiya

2014
Jan 28
(The)

S様邸のプラン


 S様邸のプランも佳境に入ってきた。ただいま3回目のプラン作り。
 ご契約に至る施主様。だいたい私か細井ちゃんのどちらかのお手柄によるものだが、この度は圧倒的に細井ちゃん。S様ご夫妻のハートを捉えたのは細井ちゃんのがんばりだった。
 細井ちゃんのお株は急上昇し、弊社の間では「細井先生」などとの呼び名が拡がっている。
 まるでインフルエンザのようだ。

2014.1.28 Kiyoshi Nishinomiya

2014
Jan 27
(Mon)

腰越2丁目13番地はバカンス気分だが


 鎌倉市腰越2丁目13番地。
 そこは134号線の向こうに江の島が見え。腰越漁港で働く人影も見え。潮の香りが鼻孔にすうっーと入り。
 M様邸の新築現場はそんな場所にある。だから、そこでは去年から冬になってもバカンス気分だった。ついつい長居をしてしまい海から渡ってくる冷たい風に体を冷やしてしまう。
 それが原因ではないんだろうけれども、この一週間で、インフルエンザA型、インフルエンザB型に弊社社員はかかってしまった。予防接種をしていてもかかってしまった。
 バカンス気分が一転。残りの弊社スタッフは厚着にマスクにうがいに、手洗い。周到な防備姿になった。

2014.1.27 Kiyoshi Nishinomiya

2014
Jan 21
(The)

H様邸のプランニング本格化


 H様邸のプランニングが本格化しそうだ。
 去年の秋から始まったが、ファーストプランは、「多角形のある部屋」を盛りこんだものだった。細井ちゃんが奇をてらったものだった。
 奇をてらっていたので、「んー、んー、んー」とH様ご夫妻は理解に苦しみ、
 「こうきましたか。まさか、こうくるとは、んー、思いませんでした」
 暮れには、外観は一階建てに見える「大屋根」の家に落ち着きそうだったが、年が明けたら、
 「やはり、多角形のある部屋は捨てがたくあるのです」
 と、「奇」に、はまっているご様子。
 細井ちゃんはこのごろクリーンヒットを飛ばす。しかるに「先生」呼ばわりされることもある。
 今日午前中、S様邸との打合せでも、「細井先生用」などと鉛筆書きで添えられた資料もチラリと見えた。
 こうなれば、インフルエンザ。流行中の折、かかって倒れるとすれば、私。そっちの方が皆様に迷惑はかからないか。ちょっと気が小さくなる。

2014.1.21 Kiyoshi Nishinomiya

2014
Jan 18
(Sat)

とうとう2年が過ぎた。


 7年前、50歳を過ぎてからバイクの免許を取ってハーレーダビッドソンに乗った。それまで家内の反対を尊重していたが、隠れて京急自動車学校に通った。
 2006年式のハーレーは良くできていた。スーと走りスーと止まり。
 乗っているうちになんだか破天荒さに欠けているような気がして、3年前に1967年式のアイアンチョッパーに買い替えた。とたんに、イージーライダーのピーターフォンダを気取ることができた、が。
 キック式のエンジンのご機嫌をとるのが難しく、困っていた。
 そこへ現れたのがエンジニアの落合氏だった。
 「この手のバイクはそれなりの調整が必要ですぜ」
 披露するオールドバイクのウンチクに自分の無知ぶりが情けなくなった。その場で落合氏に依頼した。
 「わかりました。きっちりやります。ただし、納車の催促はしちゃあ困ります」
 後に、落合氏はバイク販売店で修理不能となったバイクを直すという、プロのかけ込み寺、影の修理屋、バックオーダーが山のようにあることを知った。
 「約束します。せかせはしませんよ」
 ワンボックスカーで落合氏が引き取りに来たのが、2011年の暮れも押し迫った12月29日のこと。
 何度か落合氏の仕事場には訪れたが、一言も口にはしなかった。
 そうしたら、2014年1月18日今日まで、落合氏からやって来ることはなかった。
   とうとう2年が過ぎた。

2014.1.18 Kiyoshi Nishinomiya