ニシノミヤストリート・鶴嶺はただいま埋蔵物文化財の発掘調査が軌道に乗った。
するととたんに素人目に見ても、へえーっ、と思われるようなものが出土した。無傷の壺。いつの時代の何に使われたものなのかはわからない。そばまった壺の口の形状からすると、液体を保存していたものか。素朴なその造りは、考えられていた奈良・平安時代のものというよりも弥生時代までにさかのぼったようなもの、そんな想像もさせられる。果たしてどれくらいの集落が出現するんだろうか。
古代ロマンに思いをはせたらきりがなくなった。
2014.4.12 Kiyoshi Nishinomiya
2014
Apr 09
(Web)
埋蔵文化財の発掘調査
ニシノミヤ・ストリート鶴嶺の埋蔵文化財の発掘調査が昨日から始まった。古くは弥生時代の集落の跡、新しくは1707年宝永年間の富士山の火山爆発による火山灰の後処理場などの遺跡が埋蔵されているらしい。
このたびの調査にあたっている茅ヶ崎市の教育委員会・社会教育課の話では3ヶ月ほどで全容がわかるらしい。6月末には現地でお披露目会の計画もあり。
今日からパソコンはXPからセブンへ。新機能に自らの歳がついていくにはちょっと時間がかかりそうだ。
2014.4.09 Kiyoshi Nishinomiya
2014
Mar 22
(Sat)
タウニ―・4月号の広告原稿
ティーズ・エステートの社長兼タウニ―編集長の林氏が先週やってきた時に、
「4月号用のニシノミヤの広告ですが、ちょっと変えたのを作って掲載しませんか。今月末が締切りですよ」
と言い、続けて、
「ほら、ハートのレースのかかったピンクっぽいやつがあったでしょ。編集方針とすれば、ああいうやつ、ああいうかわいらしいのをお願いしますよ」
あれは確かにかわいいです。バレンタインデーとかホワイトデーにお似合いです。それもそのはず、1960年バレンタインデー前日のアメリカの雑誌広告で打ったコカコーラのぱくりなんですから。
とネタばらしをしようと思ったが躊躇してやめた。
罪滅ぼしに新しい原稿を作った。今度の月曜日に渡す予定。
2014.3.22 Kiyoshi Nishinomiya
2014
Mar 07
(Fri)
ニシノミヤストリート・鶴嶺
新しいニシノミヤストリートを造ることになった。鶴嶺通り、正しくは矢畑萩園線という路線名、そこから派生する道。「ニシノミヤストリート・鶴嶺(つるみね)」と名付けた。
この度は第一段階、10区画の造成。おととい、茅ケ崎市の開発審査課の森下氏、道路管理課の関根氏らと最終調整の話合いをもった。構想のスタートから30年。彼らはまだよちよち歩きだったくせに、それなりの口を挟む。弊社と近隣の土地所有者の方々の民間事業だが、しかたない、彼らと共に都市計画並みの環境を整えようと思う。
茅ケ崎市による開発許可前。売主という立場からするとまだ契約に関することに触れることはできない。鶴嶺通りのティーズ・エステートの林氏が詳しいことを知っているので、ご興味がある方は是非そちらまで。
2014.3.07 Kiyoshi Nishinomiya
2月14日金曜日午後から降雪が激しくなり、翌日の朝には辺りの景色が一変した。
私たちのニシノミヤ・ストリートもどこかのスキー場のロッジ群のように見えた。
こんな大雪を知らないはずなのに、子供が出てくると、雪だるまを作る、かまくらを作る、ビニールシートをお尻に敷いて滑る。わずかな知識を手掛かりに、ここぞとばかりに雪と遊んでいた。
大人は大人でスコップ両手で雪かきに大わらわ。人、車、自転車の通行の確保をどうしようか。
冬季オリンピックのテレビ観戦もそこそこに、土曜日・日曜日、老若男女は庭先で汗だくだった。
「オリンピック ソっチのけの雪に 筋肉痛」
2014.2.18 Kiyoshi Nishinomiya