2012
Feb 08
(Web)

トラック・フォード F-100を修理に


 1964年式のトラック・フォードF-100を修理に出した。
 へこんだボディ。さびたホイール。3時3分を指したまま止まっている時計。ザーという雑音しか聞こえないラジオ。こういうのは、残しておきたい勲章だが、日増しに液漏れするラジエターには苦慮していた。ボンネットを開けるたびに天才エンジニアの落合氏の顔が浮かび、とうとう修理工場入りとなった。
 その落合氏から電話があった。そうたいしたことじゃない、ガムでも詰めりゃとまるね。
 「ところで、ボンネットの裏にくぎでひっかくように書かれている文字はなんだい?」と聞いてきた。
 どこかの人々を経て、私のところにきた時にはすでに書かれていた、R1526の文字。
 頭文字のRからRoute1526、ルート1526という国道名だろうと当初は思っていが、そんな道路はない。
 この頃気がつき推測できるのが、Ranch。ランチ。日本語で牧場。
 「ルートじゃないね、牧場のR。Ranch1526。牧場の地番じゃないか」と答えると、
 「そうだろうと思ったよ。キャブレターに麦の種が吸い込まれていた」
 1964年以降アメリカのどこかにあった牧場。そこでカウボーイに使われていたトラックにちがいない。
 初めて過去が割れた。

2012.2.08 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Feb 07
(The)

薪ストーブを使う


 「YUMAの弾き屋」では薪ストーブを使う。YUMAさんからは「薪小屋の設置、それとおすすめアクセサリーの見積もりを」とのリクエスト。
 最新のアクセサリー・カタログをダッチウェスト・ジャパンの野坂氏に届けてもらった。いやいや、驚いた。ひところに比べると3倍のラインナップ。あれもこれもおすすめしたいものばかり。足し算していったらストーブ本体価格を上回ってしまった。
 野坂氏に聞くところによると、去年の震災以降、薪ストーブの愛好者が急増しているという。暖房器具でもなく趣味品でもなく、万が一のための熱源確保のためか。
 野坂氏は薪ストーブ販売に専念すれば、左うちわの時流だと熱を入れる。
 ストーブにうちわ。
 ずいぶんと季節が飛んだ組み合わせだが、眉につばは必要ないかい? 

2012.2.07 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Feb 06
(Mon)

ハーフタイム


  Super Bowl 2012 はニューヨーク・ジャイアンツが勝者となった。
 日本時間では月曜日の午前中の時間帯のゲームだった。
 もちろん、日本でもNHK・BSが生中継だったが、こちらはこちらで木嵜(きざき)さんが確認申請の終了後に変更のリクエストをなさるという修羅場。現場をストップさせ、設計を変更申請の手続き準備をさせ、その真っただ中にあった。
 家に帰って、夜、再放送を見よう。
 試合結果がわかった今では、マドンナが登場し、健康的なお色気のチアリーダーたちも登場するハーフタイム・ショー。これに注目です。期待がかかります。
 さて、人生のハーフタイムはいつなんだろうか。40歳、50歳、60歳?
 55歳の私、60歳をハーフタイムと定義したい。5年後のパフォーマンスを目指しただいま私、まじめに筋トレ中です。

2012.2.06 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Feb 03
(Fri)

Super Bowl 2012


 2012.2.5 Sundayの興奮。
  NFLスーパーボールも間近となった。アメリカではオリンピックよりもワールドカップよりもなによりも、大統領もとなり近所もかたずをのむひととき。
 まず、試合前の国歌独唱。
 ビリー・ジョエル、マーヴィン・ゲイ、マライア・キャリー、ディスティニー・チャイルド、ホイットニー・ヒューストンなどなど。その時代を飾った歌手の独唱。そしてオーバーラップする気合の入った選手の顔。思わず鳥肌。冬の真っただ中、室内で見ても背筋に走る悪寒。
 中でも1991年のホイットニー・ヒューストン。フィットネス・ジムがえりのお姉さん格好で登場しておきながらの「星条旗よ永遠になれ」
 もう20年も経ちますか。折に触れ、私、DVDで何度見たことか。
 今年はケリー・クラークソンさんだとか。55歳の私、この方、存じ上げないんですが、暖房を強めて拝聴しようと思います。 

2012.2.03 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Feb 02
(Thu)

ラスト・フライト


 YUMAさんの友達と会った。いっしょにビールを飲んだ。
 現役の旅客機の機長をしている人だった。吉田機長、1957年12月19日生まれ、54歳。
 「どこの航空会社ですか」と聞けば、
 「ジェット・ストリーム航空です」と答え、また、聞きもしないのに「趣味はありません」と付け足す。
 吉田機長、もの静かな人格ながらも言葉が次から次へと続いた。
 小学校の頃から飛行機が好きで好きで、見に行ったり絵を描いたりプラモデルを造ったり、願いがかなり航空大学に入りました。アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、アジア。北極は行ったけれども南極はいってないです。無我夢中で操縦しているうちに、何カ国まわったのか、いつのころか数えるのをやめていました。次のフライトですか?あさってです。アルコールを飲んで12時間経たないと飛んじゃいけないんです。
 私はここ3ヶ月ほど湘南地区から出ていない。
 飛行機の操縦が趣味でしたから。
 そこまで一気にしゃべると言葉が短くなった。
 あと5年です。コックピットにいられるのも。何をして暮らそうかなぁ。飛ばなくなったら。
 「機長の吉田から皆様にご連絡いたします。シアトルの天気は快晴、気温は摂氏20度。良好とのことです。私ごとではありますが、今日がラスト・フライトでございます」
 酔った勢い。情感たっぷりに披露してくれた。

2012.2.02 Kiyoshi Nishinomiya