2013
Oct 17
(Thu)

補修したブロック塀


 上田さんから電話があった。
 「通りがかりのトラックがうちのブロック塀をこすっていって、一列めを欠いちゃったのよ。運転手さんは恐縮していて修理代は支払いますって言っているけれど、直るのかしら」
 さっそく西山くんが見に行ったら二列までひびがはいっていることがわかり、同じ材質の新しいブロックで補修をした。
 すると、経年変化のコントラストがありありと浮きだった。
 それを見た上田さん、
 「私も歳をとる訳だわよ」とうなづいた。
 三十二年前の家だという。その頃私は25歳。
 今日は私の誕生日。57歳になる。

2013.10.17 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Oct 11
(Fri)

今村邦雄さんからメール。


  毎週土曜日の午後、私は茅ケ崎から自宅の藤沢・片瀬まで海岸線を徒歩で帰っている。走りながら歩きながら。15キロ。砂が足にまとわりつき3時間かかる。しかし、この無駄骨は壮大だと自ら悦に入っている。
 
 そんなある日、KT.Store Managementの取締役今だった村邦雄さんからメールが来た。
 「永年懸案だった「インディペンデンス」の日本語版第1章がついに完成しましたので、その喜びを分かち合いたくお便りしました。
 (中略)
 神経を研ぎ澄まして英和辞書を片手にワープロで日本文を打つことは、老人にはとても良い頭の体操です。全部で1300ページのうち今回やっと26ページが終わり前途多難ですがライフワークとしてこつこつ続けていくつもりです」
 今村さんは32年前に横浜の書店でくだんのペーパーブックと遭遇し、以来舞台となった米国ミズーリ州現地取材を重ねついに日本語版作成にとりかかった。
 メールには作業を終えたばかりの26ページの物語が添付されていた。来年には70歳に届こうかという今村さん。その気力体力には驚かされた。
 それにしても。
 日本語版翻訳を依頼した出版社はずいぶんと気が長いもんだ、とメールの先を読んだ。
 実際、今村邦雄さんの奥さまは芥川賞作家庄野潤三の長女で、さてはそういうコネクションを存分に使っているんだろう。
 ところが。
 最後の一文。これには再び驚かされた。
 「なお、出版元の翻訳権は未取得ですのでお含みください」
 個人的な気持ちの高ぶりでこんな事をしていたわけである。
 私の徒歩帰宅など、足元にも及ばない。

2013.10.11 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Oct 10
(Thu)

関根氏がフィリピンの孤島に移住するらしい


 学研の雑誌「ドゥーパ!」の編集長関根氏からメールが届いた。
 「学研パブリッシングを退職することになりました。今後は、フィリピンセブ島近くのカオハガン島という小さな島に移住します」
 その島は78歳になる崎山さんという日本人が所有している島で、ここ20年くらい島民の教育や医療の自立改善に努めてきたが、もうそろそろ歳も歳。
 関根氏がその運営の後継にあたるという。
 てっーえことは、ゆくゆくは村長にして校長にして病院院長?
  彼も日大芸術学部卒で後輩にあたるんだが、こういう身の振り方を選択した人は初めて見聞きした。
 大変なことの連続なんだろうけれど、内心うらやましい。
 何年か後に、うまくやっているかどうかこっそり見に行こうと思う。

2013.10.10 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Oct 04
(Fri)

東レの湯脇氏から


 東レの湯脇氏から電話があった。湯脇氏は東レ・ラップサイディングの弊社担当だ。
 「2014年のカタログにT様邸の掲載が本社広報で決まりまして、ついてはそのご承諾を」
 またである。湯脇氏は半年に一度こうした電話をかけてくる。
 かつては加藤さんのお宅、ティーズ・エステート社屋、そのもっと前は弊社のモデルハウスなどなど。
 「T様邸だけではなく他のお宅のも対象の範囲じゃありませんか」と食い下がれば、
 「この一ヵ月ほどの間に竣工したものをご優先させていただいて」とか口ごもる。
 とはあれ、そのつど施主様に連絡をとり承諾を取り付けるのだが、一向に日の目を見たことがない。後日施主様に残念無念の結果を報告するのはこの私。
 オオカミ少年は私ではなく、東レの湯脇氏である。
 だが、弊社建築物。東レのラップサイディングなくしては成り立たず。このラップサイディングがなければこうも建築業に身は入ってはおらず。
 湯脇氏からの電話はいかなる言葉でも聞きざわりではないから、しかたがない。

2013.10.04 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Sep 25
(Web)

隣りのすずきクリーニング店さんから


 弊社の藤沢片瀬モデルハウスに「すずき」というクリーニング店がある。
 弊社がそこにモデルハウスを置いたのが約3年前のこと。「すずき」さんはそのはるか昔からそこにある。向かい側の「パイニイ」というパン屋さんに来るお客さんも立ち寄ってクリーニング物を預ける。
 ごくたまに私も出す。ワイシャツが主だが大変仕上がりがいいので、好意をもっていた。ただ単に心の中で「お上手ですなあ」と思っていただけだった。
 ところがこのたび、自宅のフロ、キッチン、洗面所のリフォームを賜った。水回りの工事はかなりの金額になる。
 去年の暮れに向かい側のパン屋さん「パイニイ」におせち料理を2セットを頼んだ。
   どうもご利益は連鎖しているらしい。 

2013.9.25 Kiyoshi Nishinomiya