2013
Sep 24
(The)

夕暮れの帰宅


  バンドエイド、ポケットティッシュ、薬(片頭痛の)、水、タオル、携帯電話、いくばくかのお金。これらを詰めたバックパックを背負っていた。
 江の島の灯台に照らされた波の先端さえ踏まなければ、足は濡れなかった。
 後ろを振り向くたびに一番星が輝きを増す。
 50メートル離れて平行に敷かれたサイクリングロード、整地されていて足の裏に砂がまとわりつくストレスのない道、そこへ駆けあがってしまおうとする誘惑。見て見ぬふりをした。
  海岸線を走って帰る計画をたててから2ヶ月余り。4キロの早朝ランニングをこなしてきたが、砂浜の15キロはさすがに骨だった。
 先週の土曜日、午後5時に茅ケ崎を出て藤沢の片瀬の自宅に着いたのが7時35分。
途中バンドエイドを3枚貼った2時間35分。思惑通り、ただの帰宅は立派なアドベンチャーになった。

2013.9.24 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Sep 18
(Web)

山本さん竣工間近


 山本さんのお宅も竣工間近となった。
 足場も解体されすっきり見える。一部外壁にタイルレンガをあしらうと、アンティークさがひとしお。
 山本さんに最初にお目にかかったのが、去年の10月。設計、施工とちょうど一年かがり。あさっての引き渡し。玄関に入るとイルカのステンドグラスが目に入る。
 一年もお付き合いしていると、ご夫婦の仲も透けて見えてしまう。大丈夫。円満なステンドグラスだ。

2013.9.18 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Sep 14
(Sat)

歌舞伎門をくぐると、


 歌舞伎門をくぐると、真っ白い漆喰の壁、秋田杉の柾目が効いている南京下見の板壁、懐の深い上がりガマチ。どこをとっても和の粋を凝らした家。
 振り向けば、樹齢300年くらいの門かぶりの黒松。
 こういう建築の注文は、残念ながら弊社にはお声がかからない。
 弊社はここにダッチウェストの薪ストーブを納めに行った。それでもありがたやありがたや。
 一階の吹き抜けの応接間から屋根まで垂直に煙突を通す。3人がかりの取付け。
 12月頃からくべる薪の手配をさせていただくのだが、まだ猛暑が続き想像しがたい。

2013.9.14 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Sep 12
(Thu)

Tさんはもう引っ越してきた。


 Tさんの家が竣工したのが8月9日。あれから一ヵ月。ガイコウ工事に入っている。
 Tさんはもう新居に引っ越してきた。
 北海道生まれのご主人と沖縄生まれの奥さま、そしてその中間地点の茅ケ崎で生まれた第一子。この猛暑の夏、エアコンのコントローラーはどう設定されたのだろうか。28度、25度、時間がたてば切れる、入る、しずか、自動。
 ご主人の趣味はミニチュアカー収集と聞いている。その数一千とも五千とも一万とも。
 それ用のスペースは設計されてはいるが、はたしてどうなっているんだろうか。
 はるかずっーと先のことだが、それらの相続人も今からこころしておかねばならない。

2013.9.12 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Sep 09
(Mon)

東京オリンピック音頭


 1964年の東京オリンピックの時、私は小学校2年生だった。
 戦後の意味も高度成長時代の幕開けも知らず、ただ白黒テレビを見ていた。開会式の模様は、その後に見た植木等の「日本一のホラ吹き男」の映像と重なり、以来、どこか底抜けに陽気なイメージとして記憶に残ったままで、必ず三波春夫の「東京オリンピック音頭」が頭を駆け巡る。
 「オリンピックのカオとカオ、ソレとトンととトンとカオとカオぉぉ」
 さて、このたびの国民的歌手による2020年東京オリンピック音頭。
 私はやはりサザンに歌ってもらいたい。
 桑田くんは私の三軒隣りでひとつ歳上。1964年当時はおんなじレベルだったのにいつの間にか差がついてしまった。
 大学の頃、私もTBSテレビでドキュメンタリー番組のナレーション原稿を書くアルバイトをしていて、放送作家デビュー目前だった。その時の桑田くんのヒット曲が「いとしのエリー」
 これにはかなわなかった。親からも「おなじ町内会から二人と有名人は出ないから」と言われ、思わずケンジツな道を選んでしまった。
 三波春夫の「東京オリンピック音頭」の作曲は古賀政男。哀愁とか悲しみとか涙とか、そういう心像を得意としていた古賀政男がハレの作曲。
 三波春夫と古賀政男のハレの唄を上回るオリンピック音頭。悔しいが、こいつぁ、桑田くんをおいて他にはいない。

2013.9.09 Kiyoshi Nishinomiya