2011
Jun 28
(The)

坂本冬美のカヴァー・アルバムはいいぞ


 
  まだ梅雨も半ば。そうした中で、坂本冬美が、その透明感のある歌唱で日本の名曲をカヴァーしたアルバム。これはいいです。あの日にかえりたい、夏をあきらめて、なごり雪、さよなら、クリスマスイブ、などなど。   
  特に、「さよならさよならさよならぁぁ もうすぐ外は白い冬 愛したのはたしかに君だけ」と、熱唱するくだりが、いい。ビブラートに残された余韻は、宇治茶でしっかり甘さを整えられた氷あずき。渋く、甘く、せつない。メイド・イン・ジャパンのうまみが濃縮。思わず、ぞくっとさせられます。
  J・POPSだからと、ややひかえめのコブシではあるけれど、坂本冬美のひたむきな決意、小田和正への気づかい、猪俣公章への追悼、ビリーバンバンへの親愛、忌野清志郎の影、そんなもんがギュッとつまってます。
  この蒸し暑い梅雨明け前の夏に聴いたから、まだよろしかった。こんなの冬の初めにでも聞いてごらんなさいな。ぶるっときて風邪ひきます。
  坂本冬美さん、まだ独身でいらっしゃる?こういう方がまだ独身でいらっしゃるとは、私、人生の励みになりますねぇ。

2011.6.28 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jun 24
(Fri)

ハードボイルドな運転席


          

私の携帯は今年の2月からBlackBerry(ブラックベリー)。ドコモのスマートフォン。アップルのiphonもチラッと頭をよぎったが、Blackberry。そのネーミングであっさり決めた。

いいですね、ブラックベリー。黒い苺(いちご)。ディズニーの魔法使いの美女をだます小道具のようでもあり、1929年アメリカで始まった世界恐慌時のギャング用語のようでもあり。スマートフォンとしての機能はさておき、そのハードボイルドな名前がたまらなくいい。ホワイトベリー、レッドベリー、ましてやブルーベリーとかいうネーミングでしたら、選択肢にもはいりませんでしたなぁ。

待ち受け画面はオリジナルで作りました、Adobeのフォトショップ5.0で。もう15年以上も前のバージョンになりますか。しかし、私にとってはこれすら使いこなせません。これで充分。

いわくつきの1961年のフォード・ピックアップ、3年前に目をつけ2年前に購入したんだけれどいわく疑惑がついたまま、この車の転席の写真をベースに、ひび割れたガラス窓、1920年代後半の黒塗りのセダンを重ね合わせた待ち受け画面。

舞台は1930年代半ば。アメリカ・ニュージャージーの片田舎の路上。私はこの暑い夏をどうにかこうにかやり過ごしてきたというのに、私立探偵をしているというだけで追われてしまった。禁酒法をかいくぐりボロい商売をしているヤツらから。走り迫ってくる車から私の車にピストルが向けられ、弾丸はとうとうフロントグラスを突き破ってきた。逃げ場はもはやない。さて、これからどう戦う?時間があればタバコに一服つけたいところだが。あいにくと今日の持ち合わせはラッキーストライク。なんとも皮肉な名前のタバコじゃないか。

そんな待ち受け画面がただいま私の携帯電話です。

2011.6.24 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jun 20
(Mon)

アメリカ建築史


アメリカ建築史はアメリカ大陸上の民族移動の歴史と重なる、と私は思うのです。

500年余り前コロンブスがこの大陸を発見してから、イギリス人、フランス人、ドイツ人、オランダ人などなど幾多の国の人々が新天地を目指して入植した。

海を越え未開の地で暮らす彼らは衣食住の一切合財を船に載せてやってきた。着るもの、布と針。食べるもの、とりあえずのパンと蒔く種。これらは簡単に船室にしのばすことはできたけれど、さすがに「住」の家、こいつぁかさばりすぎましたでしょう。だから自国で建てられている家の作り方「設計図」を持ち込んだ。

東海岸から入植した民族は西へ南へと移動し、その道中で異国間の男女が恋をし結婚をする。体に流れる血筋も混じり合っていくように、おらが国の「設計図」も交じり、伝統がデフォルメされていく。

民族移動の足跡に建築史がすっぽりと重なる。こんな国、きっとアメリカにおいて他にはありませんでしょうなぁ。

2011.6.20 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jun 19
(Sun)

1961年フォード・ピックアップ


私は1961年式のフォード・ピックアップに乗っている。製造されてから何人に乗り継がれてきたかはよくわからないが、メーターは96,000マイルをカウントしている。多少エンジンからオイルの滲みはあれけれど、これといった故障もなく、よく走る。車検を受け持っているおなじみの自動車工場のメカニックからも、この手のクルマの中では当たりですぜとほめられ、当然、134号線なんかを走ろうものなら、よくぞ50年もたった今でもと振り返られる。ステアリングにもブレーキにもパワーアシストはなく、エアコンもなし。いまやラジオだって壊れている。キーをひねりチョークを絶妙に効かせて目覚めるエンジン。排ガスのにおいがほどなく室内にたちこめる。この空気をハードボイルドと言わずして、なんと言う。

1961年と言えば、あのジョン・F・ケネディが大統領に就任した年だ。歴史的な外交施策でキューバ危機を回避し、マリリン・モンローをして「ハッピーバースデイ・トゥー・ユー」を歌をしめ、そして1963年ダラスであっけなく暗殺された伝説のアメリカン・プレジデントの始まりの年。その一部始終をこのフォードは備えているラジオから奏でてきたはずだ。

私はこのフォードを3年前に目をつけ2年年前に手に入れ、そしてなんの迷いもなくナンバープレートに1961を選んだ。

半年前、私はこのクルマに、「どちらが先にくたばるかねぇ」と親愛の情を込め、欠落していたリア・バンパーをわざわざフォード正規代理店よりおごらせた。10日間ほどで納車され、リアに回って新品のメッキ・パンパーを見ていた私に、帰ろうとしていた納車のドライバーが無造作に言った。

「ナンバープレートは1964に変えたほうがいいっすよ」

なんのことかと思案したが、たちまち不快な予感がよぎった。

「このクルマ、1964年式のもんすよ。フロントグリルは確かに1961年製なんだけど、誰かが後付けしてますね。刻まれている車体番号のプレート、グリスで真っ黒だったからふき取って見てわかりましたよ。こっちは変えられないから、ナンバープレート変えたらいいんじゃないですか」

ふぅーっ、と太いため息がひとつ、思わず出ましたな、私から。それでも私は落胆ぶりを彼に悟られないように新品のメッキ・バンパーをしげしげと見続けていました。それしかできませんでしたもの。

2011.6.19 Kiyoshi Nishinomiya