2012
Jan 17
(The)
天才エンジニア

私の1967式ハーレーはついに手に負えなくなった。
何人か前のオーナーがスポーツスターをいじりにいじってチョッパーに仕立ててあるところは気にいっている。
900ccのエンジンをキックがけ。これが苦労で苦労で。走り込みをしてもてクスワットをしても、瞬発力のある脚力を保つのが難しくなってきた。
そんな時、怪しげな天才エンジニアが現れた。ハーレーファンの中には、便利なセルスターター付きのエンジンでは満足できない人がいるという。そんな人を探すという。そして、ふたつのエンジンをを載せ替えるという。これをクルマ・バイク用語でスワッピングという。言葉からしてなかなか怪しげな響きだ。
その天才エンジニアのHPを覗けば、アルトサックスを溶接修理している写真が最初に出てきた。
いつだったか電話で、「へぇー、楽器も修理するんですかい」、と尋ねれば、「はぁ?」と答える。
よくよく見ると、アルトサックスではなくマフラーだった。美術品を修復しているかのような写真だった。
それでも、あまりにも巧みな作業風景だったので、さては有名エンジニアの雑誌写真かと思いきや、右手の薬指に鈍く光る角ばったリング。このリング、初対面の時に私は実物を見ている。
その道にはその道の達人。だいたいが怪しげな方だが、ここぞという時にお目にかかれる。なんともありがたやありがたや。
2012.1.17 Kiyoshi Nishinomiya


今村邦雄さんは68歳。KT Store Managementという会社の取締役をしている。10年ほど前に突然やってきて、「お宅の会社が所有している土地は、隣接しているトヨタディーラーショールームと合わせるときっと良い活用のされ方をすることでしょう」と予言師のようなことを言い残して帰っていった方だ。
事実、確かにそうだった。
その今村邦雄さんから近況報告のmailが来た。68歳。この6月にめでたく退職するとのこと。だが、perhapsなんて言葉もあった。
今村さんは突飛な行動をとって人生を謳歌してきた。
アメリカ・コロラド州にいって幌馬車の後をくっついて旅をしてきたり、テレサ・テンの墓参りに行ったり。
だから、今村さんの昨今のご様子が気になっていた。
私、ただいま55歳。60を過ぎたらそこそこ人生が楽しめるんじゃないだろうかと期待を寄せる毎日。ふと今村さんのことを思い出し、ヒントをつかもうとしていた。
ところが、68歳になりました、この分ですと6月に退職です、たぶん、ときた。
ちょっとがっかりした。
やはり、21世紀は70歳近くまで現役でないといけないなんでしょうなぁ。
2012.1.16 Kiyoshi Nishinomiya
2012
Jan 15
(Sun)
サラ・ブライトマン
サラ・ブライトマン。1960年生まれ。イギリスのソプラノ歌手。
そのサラ・ブライトマンが歌う「ジャスト・ショウ・ミー・ハウ・トゥ・ラヴ・ユー/Just Show Me How To Love You」は、圧巻だ。
イントロはわずかピアノの和音のひとたたき。サラ・ブライトマンのボーカルはいきなりサビから始まったかのよう。
最初っからこんなに飛ばしていいんだろうか。竜頭蛇尾に終わっちまうんじゃなかろうか。
そんな心配はまったくなかった。
クラシックのソプラノボイスとパーソナルなポップスボイス。このふたつの声を3オクターブの音域で使い分ける。
途中からは、テノールの逸材と話題を呼んだホセ・クーラが加わり、めちゃくちゃの大嵐に立ち向かう小舟の奮闘劇をスクリーンで見せられているようなありさま。
歌詞を和訳すると物悲しいラブソングなんだけれども、聞くこっちにとっちゃあ、アドレナリンが沸騰し萎えた上腕三頭筋がむくむくと破裂しそうになるくらい。
まぁ大変な3分58秒でございますよ。
2012.1.15 Kiyoshi Nishinomiya
2012
Jan 13
(Fri)
古くからの友人

年賀状、メールなど、近況報告は連絡は欠かさないが何年も会っていない古くからの友人がいる。
山崎修次。もう30年は会っていない。大学生の頃、盛んに通っていた長野県のスキー場の地元っ子。先日、飼っている犬が脱走して大騒ぎしたとメールをよこした。
後藤登美男。5年ほど前にひょっこり大阪から会いにきてくれた。20年ぶりだった。野球帽をとると、はげていた。抗がん剤の副作用でんな、わし、胃がんにかかったんや。その年の暮れ、奥さんから喪中につき年賀状は失礼いたしますのハガキがきた。慌てて電話したら、そうやって懐かしい友達に暇があれば会いに出かけていたと言う。
佐藤扇秀。25年ぶりに会った。杉山愛ちゃんのTV番組「集まれ!アースキッズ」のディレクター。茅ケ崎南湖モデルハウスに収録にやってきた。太っていた。倍くらいの体重。25年前はソリがあわない者同士だった。収録現場を覗けば、やはり威張りくさっている。幾多の名番組を渡り歩いてきたつわものぶりだった。
番組の収録後、出演者とスタッフのご苦労さん会を行った時、佐藤扇秀はビンゴゲームでちょんまげのかぶり物を引き当てる。どうする佐藤扇秀。こんなもの、と誰かにくれるのか?佐藤扇秀が言った。「おれ、かぶるから写真撮ってくれよ」
25年前のささいないきさつは、さすがに風化していた。
2012.1.13 Kiyoshi Nishinomiya
2012
Jan 12
(Thu)
日本の田園風景

ふと気がつけば、といっても遡ること40年以上も前から、身近なところに田園風景がなくなった。
東京オリンピック、大阪万博が終わるといきなり日本列島改造論。またたくまの高度成長時代。道路、住宅、オフィス、工場などなどの出現。この間コンクリートの消費量、当然日本が世界一。
20世紀は日本の世紀だっといわれる。前半は軍事力に後半は経済力に世界が驚き沸いた。なくなった田園がそのその動力源だったと思えるフシもある。
さてさて私55歳。あらためて田園風景が懐かしい。春美ちゃんを遠くから見つけるロマンがあった。悪ガキの健司と将来を妄想するスリルがあった。
とりわけ住宅事業に従事しております私が申すのもヘンなんですが、そうですなあ、こういう風景はやはり身近にあってほしいもんでございます。
2012.1.12 Kiyoshi Nishinomiya