2011
Sep 20
(The)

大橋さん家の犬


 去年の夏に竣工した大橋さんの家に犬がいた。今まで犬がいたとは知らなかった。聞けば、かれこれ半年ほど前から飼っているという。
 すこぶる人なつこい。見知らぬ人が近づいてもうんともすんとも言わない。だから、今まで気づかなかったのか。まず番犬の素質はない。疑うことを知らない。私もかくありたいと思う。いちずに迷わず日々生きている様子。
 「一を抱き、天の式となす」とは、老子第22章。
 たとえ多才な能力を持ち合わせていたとしても、迷うことなく、ひとつの道を積み上げ努力していけば、きっと世の中のお手本になる、との教え。
 大橋さんの家の犬は何を努力しているのか、それは謎だが、人生に迷い戸惑いはみじんも見られない。
 「小太郎」だか「小次郎」と呼ばれていたが、「小梅」「小雪」と呼ばれたって、きっと、振り向くに違いない。

2011.9.20 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Aug 31
(Web)

「人間の証明」


 先日、テレビを見ていたらジョー山中の訃報が流れていた。
 友人のながちゃんはジョー山中といえばフラワートラベリンバンドだというが、私は角川映画「人間の証明」のジョー山中しか知らない。
 これは大学時代に池袋の名画座で何回も見た。
 岡田茉莉子扮するファッションデザイナーは、かつて黒人アメリカ兵との間に男の子・ジョニーを産むが、生き別れとなる。大人になったジョニー、優しかったママ、ようやく探せたよと会いにやってくるが、名声をつかんだ母親はナイフで殺意を固める。
 当時、岡田茉莉子と森英恵の風貌はオーバーラップし、ジョー山中の生い立ちもジョニーそのまんま。何度見ても不思議なリアリティーを感じた。
 そのジョー山中の歌う主題歌「人間の証明」をTUTAYAから借りてきて聞いてみた。
 こういう懐かしのメロディーを聴くと、きまって、その時々付き合っていた女の子のことを思い出すんだが、ジョー山中の歌声は私の甘酸っぱいアルバムを開かせる呼び水にはならなかった。
 mama do you remember、から始まる曲に耳を澄ませば、3オクターブの音域をかけあがるジョー山中の肉声が、心を泣かせる。
 劇中、母親にナイフを胸に刺されたジョニーはさらに母親をかばう。「僕はママが遠くに逃げるまで絶対に死なない。逃げるんだ、ママ」
 ジョニーを演じるのはジョー山中自身。映画のシーンがただただ浮かぶばかりの名曲だった。

2011.8.31 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jul 31
(Sun)

どこむいてルンバ


 ふと思い出した。
 もう20年以上も前、ちびまる子ちゃん「おどるポンポコリン」が一世を風靡したころ。私にもこのテの曲のアイディアが浮かんだことがあった。
  「どこむいてルンバ」
 ワンレンの髪、かわいいねとおだてても、いうこと聞かない女子社員の斉藤由美。
 さっきから気を使って話しているのに、出入り口のお客に目が泳ぐだけ。キャバクラのヒロミちゃん。
 フロ上がり、したたる足跡。裸のまんま前を素通りしていった結婚三年目のかみさん。
 おいおい、まったくどこむいてルンバ。
 ルンバとはもともとキューバのアフリカ系民族から生まれたラテン音楽。コンガのパーカッションとヴォーカルが掛け合う陽気なリズム。
 課長島耕作にはなれない30男の悲哀をユーモラスに描こうとしたが、植木等の「スーダラ節」にはとうていかなわぬコンテンツ。未発表としました。
 時を20年余り隔てた今日。人の行動にはあまり口を出さな性質ですが、震災以後の政治家の方たち。この方たちに、「どこむいてルンバ」のタイトルを捧げたい。

2011.7.31 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jul 27
(Web)

茅ケ崎の海辺の知人から


 先日、もうかれこれ40年ほど付き合いのある70歳半ばの漁師さんから相談があった。
 「この歳になって怖いもんはもう何にもないんだけどね、津波で家が流されてしまっては、息子らが困る」
 海辺の漁師屋が自宅。
 茅ケ崎海岸の砂浜にある。波打ち際から150メートルぐらいのところ。海抜ゼロメートル。
 「引っ越そうと思ってんの。でも、ここは売るに売れない。ほかに買ってくれる人はいないだべさ」
 震災以後、海岸沿いの人たちが北へ北へと移動していることは、この頃、聞いていた。
 「そんでね、西ノ宮さん、」
 漁師さんから二の句がするりと出た。
 「お宅の空いている土地と、取り替えてくれないだべか」
 呼び出しがあった時から予測はしていた。的を得ていた。思わず、うなずこうとした。
 先代から引き継いだ自宅は立派にあるが、初めての思いだった。自分の好みの家を建てて住んでみたいと。潮と波と風だけの環境。庭はいらない。目の前が海だから。こんな場所で朝目覚めたら。地引網を手伝って、頑張った分だけ魚をもらい、冷蔵庫にしまう。仕事から戻ると自ら調理し、そうだ、日没までには戻ろう。サカナを作り、夕陽を眺めながらビールを飲もう。波音を聞きながら風呂に入ろう。夜、好きな音楽を聴き、好きな本を読み、好きな人にメールを書き。9時には寝てしまおう。明日の朝はまた地引網があるから。
 しかし、浮かんだ家内の顔が、こう言っていた。古今東西、どこのかみさんもこれが最後のおどし文句。
 「なにをばかなことを考えているの。離婚してからにしてちょうだい」
  答えを待つ漁師さんに、時間稼ぎの返事をした。
 「年内まで、年内いっぱいまでに、この12月までにもう一度お目にかかりましょう」
 「いいさ、大地震は年内にはこないだべさ」
 8月9月10月11月12月。この5ヶ月間で真っ向勝負にでるか、それとも東京スカイツリー級の建築商談を成立させ、「でかした亭主。なんでも好きにして」と言わしめるか、ふたつにひとつ。これからの力量が試される。

  

2011.7.27 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jul 21
(Thu)

ノーマンロックウェル・ハウス


 何年か前、「家」にキャラクターマーチャンダイジングを行ったことがあった。古き良き時代のアーリーアメリカン建築様式にふさわしくクラシックアメリカンブランドをミックスさせようと試みた。
 最初にアタックしたのがCoca-Cola。「コカコーラ・アメリカンクラシックハウス」。こんな家があったらさぞかし気分いいだろうと。アトランタ本社ではうけた。アジア・パシフィック部門でもうけた。ところが日本コカコーラがNGを出した。当時、日本では姉歯構造改ざん問題が社会現象の真っただ中。「家」と「車」にライセンスをおろしてはコカ・コーラ本体も危ういのです。おかげで刑事事件に巻き込まれたら大変とアトランタ本社に日本から通達をすることができました。とは当時の担当の春日美佐子(かすがみさこ)さんの弁。
 しからば、Campbell’sキャンベル。今度は間違っちゃいけない。日本キャンベルから攻略。「いいです。Okです。日本はコラボOK」。ところがニュージャージー本社がNGを出した。
 うまくいきませんねぇ。
 だめもとで、ノーマンロックウェルの長男のポール氏にmailを出してみた。意外や意外、2ヶ月後にはWellcomeの返事。日本の代理店を通じてライセンス許諾契約が行われた。
  それでも紆余曲折、暗中模索、五里霧中。何百という構成素材で作られる家に、イメージ的にせよ付加価値をつけるのは大変な作業を伴った。というより、建材の本質からブランド化することは、各建材メーカーと長期に渡る計画も必要だった。ライセンス料、建材特殊開発費。建築コストがさがることはない。
 後日、Disneyディズニーと会食した際にあちら側から出たリクエスト。「ディズニー・ハウスというものを出す予定がありましたら、Disneyのロゴの入ったクギから作っていただけませんか」
 「家」にキャラクターマーチャンダイジング。難しゅうございました。途中で断念。
 現在ではフィジカルに「ニシノミヤハウス」。今の私にはこれがちょうどいい。

2011.7.21 Kiyoshi Nishinomiya