2011
Jun 20
(Mon)

アメリカ建築史


アメリカ建築史はアメリカ大陸上の民族移動の歴史と重なる、と私は思うのです。

500年余り前コロンブスがこの大陸を発見してから、イギリス人、フランス人、ドイツ人、オランダ人などなど幾多の国の人々が新天地を目指して入植した。

海を越え未開の地で暮らす彼らは衣食住の一切合財を船に載せてやってきた。着るもの、布と針。食べるもの、とりあえずのパンと蒔く種。これらは簡単に船室にしのばすことはできたけれど、さすがに「住」の家、こいつぁかさばりすぎましたでしょう。だから自国で建てられている家の作り方「設計図」を持ち込んだ。

東海岸から入植した民族は西へ南へと移動し、その道中で異国間の男女が恋をし結婚をする。体に流れる血筋も混じり合っていくように、おらが国の「設計図」も交じり、伝統がデフォルメされていく。

民族移動の足跡に建築史がすっぽりと重なる。こんな国、きっとアメリカにおいて他にはありませんでしょうなぁ。

2011.6.20 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Jun 19
(Sun)

1961年フォード・ピックアップ


私は1961年式のフォード・ピックアップに乗っている。製造されてから何人に乗り継がれてきたかはよくわからないが、メーターは96,000マイルをカウントしている。多少エンジンからオイルの滲みはあれけれど、これといった故障もなく、よく走る。車検を受け持っているおなじみの自動車工場のメカニックからも、この手のクルマの中では当たりですぜとほめられ、当然、134号線なんかを走ろうものなら、よくぞ50年もたった今でもと振り返られる。ステアリングにもブレーキにもパワーアシストはなく、エアコンもなし。いまやラジオだって壊れている。キーをひねりチョークを絶妙に効かせて目覚めるエンジン。排ガスのにおいがほどなく室内にたちこめる。この空気をハードボイルドと言わずして、なんと言う。

1961年と言えば、あのジョン・F・ケネディが大統領に就任した年だ。歴史的な外交施策でキューバ危機を回避し、マリリン・モンローをして「ハッピーバースデイ・トゥー・ユー」を歌をしめ、そして1963年ダラスであっけなく暗殺された伝説のアメリカン・プレジデントの始まりの年。その一部始終をこのフォードは備えているラジオから奏でてきたはずだ。

私はこのフォードを3年前に目をつけ2年年前に手に入れ、そしてなんの迷いもなくナンバープレートに1961を選んだ。

半年前、私はこのクルマに、「どちらが先にくたばるかねぇ」と親愛の情を込め、欠落していたリア・バンパーをわざわざフォード正規代理店よりおごらせた。10日間ほどで納車され、リアに回って新品のメッキ・パンパーを見ていた私に、帰ろうとしていた納車のドライバーが無造作に言った。

「ナンバープレートは1964に変えたほうがいいっすよ」

なんのことかと思案したが、たちまち不快な予感がよぎった。

「このクルマ、1964年式のもんすよ。フロントグリルは確かに1961年製なんだけど、誰かが後付けしてますね。刻まれている車体番号のプレート、グリスで真っ黒だったからふき取って見てわかりましたよ。こっちは変えられないから、ナンバープレート変えたらいいんじゃないですか」

ふぅーっ、と太いため息がひとつ、思わず出ましたな、私から。それでも私は落胆ぶりを彼に悟られないように新品のメッキ・バンパーをしげしげと見続けていました。それしかできませんでしたもの。

2011.6.19 Kiyoshi Nishinomiya