2018
Aug 22
(Web)
三度、石坂さんと。
三度、石坂さんと八王子クラシック・パレードに出かけることになった。参加車両は1934年式フォード・ピックアップ。11月18日・日曜日。石坂さんも待ち遠しいらしい。
11月18日。そういうば、この日は西浜中学の同級生だった大久保充孝の誕生日だ。テレビ・ディレクター。中でもドキュメンタリー作りには長けていた。珠玉の一作に「ウズベキスタンから」を思い出す。
大久保充孝。10年前に他界していた。50歳そこそこ。癌と闘っていたとは、先日の同窓会で初めて知った。
私、61歳。石坂さん、77歳。まだ三度。10度も20度も続けたいと思う。
2018.8.22 Kiyoshi Nishinomiya
2017
Apr 26
(Web)
矢畑ハウスは2棟4所帯

矢畑ハウス、弊社所有の賃貸物件は2棟4所帯。ただいま足場を設置した。もうすでに構想は一年前からあったのだが、いやいやなかなかどうして、自社のものとなると後へあとへと竣工はずれていく。それでも9月の完成を目指す。
2017.4.26 Kiyoshi Nishinomiya
2014
Sep 06
(Sat)
今村邦雄さんからメール

今村邦雄さんからメールが来た。この夏にオレゴン州ポートランド、幌馬車隊の終着点に行ってきたという。
もう70歳は過ぎただろうか。私にしては高齢の部類の友人だ。
現役時代は不動産業に従事していた。2級建築士の資格を持っているが「地上げ屋」だった。
バブル期をそうやって過ごした今村邦雄さんは、もちろん「酒池肉林」をも経験し皮下脂肪を豊かに蓄えていた。
7-8年ほど前、弊社所有の土地を 「おい、売らんか」と交渉に来られた。それが縁だった。
今村邦雄さんは「地上げ屋」を2年ほど前に引退して、Dana Fuller Rossの長編小説シリーズ「Wagons West」の翻訳に取りかかった。1200ページ。定期的に連蓮と作業を終えた日本語版が送られてくる。この度のオレゴン州行きはここに由来する。
「地上げ屋」から翻訳業へ。この唐突さは見事だった。
角度の鋭いターンは今更始まったことではないらしく、テレサテンの墓参りに行ったり、100台の車をタクシー会社に売ったり、芥川賞作家・庄野潤三の娘さんを奥さんにもらったり。やはり突飛な言動で人生を謳歌している。
私も人生、この路線で行けたら幸せだ。
翻訳業へ。それはさぞかし庄野潤三というコネクションで講談社や早川書房から依頼を受けての転身、と思いきや。
いつぞやのメールには、
「なお、出版元の翻訳権は未取得ですのでお含みください」とあった。
単なる個人的な気持ちの高ぶりだけで始めた作業。
つくづく鋭角な人生である。
2014.9.06 Kiyoshi Nishinomiya


明日は盆の入り。モデルハウスの庭掃除中、たちまち周囲が暗くなり、雨に降られた。
思い返せば。
雨ばかりでなく、女の子にフラれた話はいっぱいある。
フッたことはほとんどないのに、フラれたことはいっばいある。
その何度目かの時に、「女の子は精神が成熟するのは早く、きっと同じ歳では負けるに決まっている。ましてや女の子は恋愛にかけてはプロフェッショナル」そう思った。
そんな折、私は大学3年生。高校の後輩の女の子に通学の帰りの電車、東京発の中で、出くわした。
私が高校3年生の時に1年生だった娘だったが、おおっ、大学生ともなればなかなかいけるじゃないか。二人がけの席に並んで座った。
いくつかの話題を積み重ね、ようやく車の話で盛り上りをみせた。
「ねね、外車だったらなんの車が好きなんですか」と聞いてきた。
「そだねえ、アレック・イシゴニスのミニクーパーは名車だねえ。ホンダがシビックを出してからはちょっとかすんでるけど、かすんでるけど、横置きエンジン、前輪駆動、2ボックススタイル、ありゃあ画期的な設計だよ」
POPEYEの「ミニクーパーでマイボートに会いにいこう」という特集記事を読んだばかりだった。
「あらやだあ、私ミニクーパー大好きなんです」
いいぞいいぞ、いけるぞ。
「でも、私どっちかというと、シトロエンにくるってるんです。それもツートンの塗り分けの。シトロエン、どう思いますか」
「シトレーン、いいじゃないの」。ほんとは知らなかった。まだ免許も取っていなかった。
「えっ? シトレーンって、そういう車あるんですか」
間が空いた。
とりつくろったが、深みにはまった。
「シトレーン450SLC。お高い車だよねぇ。まだ見たことないんだけどさ」
「・・・今度、お父さんに聞いてみます。うち、自動車修理工場やってるから」
電車はやっと大船についた。茅ケ崎まで20分。横に並んでいる気まずさが重たかった。
明日は盆の入り。去年他界した母に感謝して、過去をいつくしみ、迎え火を焚こう。
2014.8.12 Kiyoshi Nishinomiya
2014
Aug 05
(The)
むせかえるような夏

38年前の夏、私は19歳だった。
その夏も猛暑、多湿だった。台風が張り出した太平洋高気圧にじゃまされて日本海側を通り熱せられた水蒸気を呼び込んだのは、今年とよく似ていた。
むせかえるような夏。私は西浜でサーフィンをし、夕暮れには恋した女の子のことを想っていた。とびっきりの美人だった。
恋した女の子は都内に住んでいた。その夏の初めに出会った。何度か海に誘ってはみたが、ハンバーガーショップのバイトが忙しいからとそのたびに断られていた。都内のハンバーガーショップ。
だからこっちから出かけていって、ハンバーガーを食べて帰ってきた。そしてサーフィンをして夕暮れにはセンチになって。
サーフィンの、もっと大人の仲間はたびたびガールフレンドを海に連れてきていた。当時、女の子はサーフィンをすることはなく水着姿で丘から自分の彼氏の波乗りを見る、それが立派なビーチサイドのデートのスタイルだった。
そういう大人の女性の水着姿がまぶしく。一方で、こっちはひたすらハンバーガーを食べに行く口実を見つけるだけで。
ところが、その夏の終わり、奇跡がおきた。私とハンバーガーショップの彼女が付き合うようになった。
来年の夏、きっと、私も年下のサーファーたちがうらやむような渚のシンドバッド、そう思っていた。
しかし、一年は続かなかった。若い頃の一年は長かった。とびっきりの美人を前にいつでも背伸びをしていた。やがて嫉妬もした。けんかもした。彼女の水着姿はとうとう見ることはなく、次の夏が来る前に別れた。
猛暑、多湿。むせかえるような夏。私には不快ではない。肌に触れる空気はどこか切なく懐かしい。
2014.8.05 Kiyoshi Nishinomiya