2014
Mar 03
(Mon)

ジーンズの糊落としの日


 昨日は雨の休日。こういう日には、自分を磨くか、新品ジーンズの糊落としをするに限る。
 自分を磨くには忍耐・体力に欠けていた日だった。そこで、この時とばかりに買っておいたジーンズを押し入れから取り出した。Net通販で5900円。サイズはいつもと同じだった。2年ぶりのラングラー。気持ちウェスト回りがきつかった。やっぱり太ったんだろうか。
 半日かけて糊落としした。生産されてそのままのデニム生地はインディゴ染料と糊がしっかりのっている。最初の落とし具合がその後のジーンズの味に影響する。だから雨の日の休日がいい。家の中で沈着冷静になれる。
 バスタブの残り湯につける、洗濯機で水洗いする。シンプルな作業だが30年もやっていると微妙な「変化」が気になる。
 この度はいい出来だった。集中できた。天気のせいだけではない。家内も外出していた。
 ジーンズと向き合い、自分自身を見つめるにはこういう日がちょうどいい。 

2014.3.03 Kiyoshi Nishinomiya

2014
Feb 07
(Fri)

ソチ・オリンピック開幕の日


  ソチ・オリンピック開幕の日、関東は大雪だという。車の中で聴いていたNHKラジオの天気予報だった。困ったことに明日はスケジュールがいっぱいだ。
 ラジオは過去の夏冬合わせてのオリンピックのテーマソング・リクエスト特集が続いていた。
 ゆずの「栄光の架け橋」が一位で、二位は大黒摩季の「熱くなれ」
 大黒摩季の名は覚えていたが、「熱くなれ」は知らなかった。
  YouTubeを開いて見たら、いやぁ、すごいっスよ、ぜんぜんパワフルなわけで。いっぺんで、熱くなりましたっスよ。雪で困った困ったなんて言ってられませんよ。
 「泣きたいのに笑ったり・・・Changing ,he we go!」
 細井ちゃんに電話で伝えると、
 「眉間にしわを寄せて歌っている姿が、おっかなかぁないですか。デーモン閣下もカバーしていますが、そっちの方が怖くない」
 かみ合わない返事だった。
 やはり、明日は大雪なんだろう。

2014.2.07 Kiyoshi Nishinomiya

2014
Jan 18
(Sat)

とうとう2年が過ぎた。


 7年前、50歳を過ぎてからバイクの免許を取ってハーレーダビッドソンに乗った。それまで家内の反対を尊重していたが、隠れて京急自動車学校に通った。
 2006年式のハーレーは良くできていた。スーと走りスーと止まり。
 乗っているうちになんだか破天荒さに欠けているような気がして、3年前に1967年式のアイアンチョッパーに買い替えた。とたんに、イージーライダーのピーターフォンダを気取ることができた、が。
 キック式のエンジンのご機嫌をとるのが難しく、困っていた。
 そこへ現れたのがエンジニアの落合氏だった。
 「この手のバイクはそれなりの調整が必要ですぜ」
 披露するオールドバイクのウンチクに自分の無知ぶりが情けなくなった。その場で落合氏に依頼した。
 「わかりました。きっちりやります。ただし、納車の催促はしちゃあ困ります」
 後に、落合氏はバイク販売店で修理不能となったバイクを直すという、プロのかけ込み寺、影の修理屋、バックオーダーが山のようにあることを知った。
 「約束します。せかせはしませんよ」
 ワンボックスカーで落合氏が引き取りに来たのが、2011年の暮れも押し迫った12月29日のこと。
 何度か落合氏の仕事場には訪れたが、一言も口にはしなかった。
 そうしたら、2014年1月18日今日まで、落合氏からやって来ることはなかった。
   とうとう2年が過ぎた。

2014.1.18 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Dec 27
(Fri)

クリスマスからお正月


  クリスマスが過ぎると一気にお正月ムードが高まる。通りのコンビニの店先からツリーが片付けられ、今年はもう角松が置かれていた。
 30数年前、大学生の頃は、断然クリスマスであった。24,25日に照準を合わせどうやって好きな女の子に接近をはかるか。
 もう冬休みに入っているから学校では顔を合わせることはできず、ましてや私、体育会のスキー部。長野県の雪山で合宿が常だった。
 そこでドラマチックに、「同じ時間に同じ曲を聴こうね」なんて約束をしたこともあった。
 雪山は当然ホワイトクリスマスで、こっちは盛りに盛り上がった夜の11時。合宿所の廊下にあるピンクの公衆電話から電話をした。10円玉50枚用意して。都内までの長距離電話の通話料金が10円で10秒足らずの時代だった。
 しめしあわせた曲はジョンレノンのハッピークリスマス。
 <この電話の後、もう一度聴こうと思うんだ> そういう台詞も用意した。

 何度かコール音が続いた。長い呼び出し時間。
 <もう寝てしまったんだろうか>
 相手の家の静寂な夜が伝わってきた。
 と、唐突に受話器が持ち上がる音がし、野太い男の声がした。
 「はい」
 「あのう、かすみさんは、いらっしゃいますでしょうか?」
 「誰だ、あんたは」
 やばいです、父親が出てしまった。
 「大学で同級生をさせてもらっている者でございますが」
 「いったい何時だと思ってるんだ」
 せめて一時間、もう一時間早ければ、まだ起きていたんでしょうに。
 「はあ、すみません、夜分遅くに」
 すると父親はさらりと言って電話をがちゃりと切った。
 「いったい何時だと思っているんだ。うちの娘は、まだ帰って来とらん」
 ジョンレノンのハッピークリスマス。聴いたのはどうやら私一人だけ。
 じゃらじゃらと戻ってきた10円玉硬貨は48枚。20秒ほどのことだった。裸足に合宿所の廊下の冷たさがこたえたわけで。
 
 そんなことを幾度となく重ね、50歳を境にようやく、クリスマスよりお正月。そっちに趣きをおけるようになったのでございます。

2013.12.27 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Dec 09
(Mon)

前略おふくろ様


 

 見たテレビドラマで人生が決まってしまうことがある。
 
  かつて私と小中学校の同級生の西脇一郎(にしわきいちろう)は週末になるとそろりそろりと集まった。
 1975年10月17日からスタートしたテレビドラマ「前略おふくろ様」の放送を回想するために。
 私は大学受験浪人中で、西脇一郎は腰を痛め高校を卒業はしたものの職にもつかず家でぶらぶらしていた。お互い来年の自分など想像もつかない中で、主人公の萩原健一演じるサブちゃん・片島三郎(かたじまさぶろう)にぞっこん、まいっていた。
 「いやぁ、ごぶさたしています。音沙汰なかったもんっすから、洋子さんに聞いたら家で寝てるって。どうかしたんすか?」
 腰の具合もよく知っていたし、先週会ったばかりなのに、私はのこのこと一郎の家に出かけた。話の「洋子」というのは一郎が中学3年生の頃から好きになっていた同級生だった。彼女には新しい彼氏ができていたが、そのことは一郎は知らない。
 「洋子ちゃん、なんか言ってませんでしたか? おれのこと」
 「いやぁ。なんかって、なんスか?」
 「この頃気がついたんンすけど。色がね、色が変わったんじゃないかって」
 「・・・色って?」
 「アイシャドウ。ちょっとラメ、入ってませんか?」
 (モノローグ)前略おふくろ様。やばいです。洋子ちゃんの浮気がばれてます。

 私と一郎はすっかりサブちゃんになりきっていた。一人二役ではなく、それぞれが一役を演じ合っていた。

 一郎はその名前から「イチ」と呼ばれ、「サブちゃん」は絶対に自分の人生だと思い、とうとう翌年から麻布の天ぷら割烹の板前修業に行った。そして今では湯河原・海石留(つばき)の花板だ。
 私は番組が始まった日が自分の誕生日だったので、「おれだってこんな脚本書きてえよ」と、翌年日大芸術学部映画学科に入り脚本を専攻した。そして今ではケンジツな道を選んではしまったが。

 この11月。先に一郎からハガキが届いた。
 「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」という印刷文字に手書きの文字が続いていた。
 「前略西ノ宮様。美奈子の父が逝きました。美奈子の父は、オレがずいぶんと年上だったことや、片親で育ったことや、ウィンドサーフィンに挫折したことや、そういうこと全部受け入れてくれた人で。」
 一郎は職場の同僚の若い仲居さんと、それはそれはまさに番組そっくりの恋愛をして結婚していた。その父が亡くなっという。一郎のこの時ばかりのスタイルだった。
 (モノローグ)前略おふくろ様。先に越されました。オレはあなた様の訃報をドラマチックに伝えようという意気込みだったのですが。

 今年の5月、私の母も末期の卵巣癌を半年患った末、他界していた。

 (モノローグ)前略おふくろ様。先に越されました。オレはあなた様の歳が83歳で、来年84歳には干支の午(うま)年を迎えるはずでした。そうした中で新春のお慶びは控えさせていただきますと、オレはあなた様の訃報をドラマチックに伝えようという意気込みだったのですが。先に越されました。ましてやこっちは本当の母親で、あっちは義父なわけで。重みっていうか切なさっていうか、そういうもんはこっちが上なのに。あと出しは、ジャンケンだって弱いです。

 これから先、私と一郎のふたり一役はまだまだ続く。

2013.12.09 Kiyoshi Nishinomiya