2013
Dec 09
(Mon)

前略おふくろ様


 

 見たテレビドラマで人生が決まってしまうことがある。
 
  かつて私と小中学校の同級生の西脇一郎(にしわきいちろう)は週末になるとそろりそろりと集まった。
 1975年10月17日からスタートしたテレビドラマ「前略おふくろ様」の放送を回想するために。
 私は大学受験浪人中で、西脇一郎は腰を痛め高校を卒業はしたものの職にもつかず家でぶらぶらしていた。お互い来年の自分など想像もつかない中で、主人公の萩原健一演じるサブちゃん・片島三郎(かたじまさぶろう)にぞっこん、まいっていた。
 「いやぁ、ごぶさたしています。音沙汰なかったもんっすから、洋子さんに聞いたら家で寝てるって。どうかしたんすか?」
 腰の具合もよく知っていたし、先週会ったばかりなのに、私はのこのこと一郎の家に出かけた。話の「洋子」というのは一郎が中学3年生の頃から好きになっていた同級生だった。彼女には新しい彼氏ができていたが、そのことは一郎は知らない。
 「洋子ちゃん、なんか言ってませんでしたか? おれのこと」
 「いやぁ。なんかって、なんスか?」
 「この頃気がついたんンすけど。色がね、色が変わったんじゃないかって」
 「・・・色って?」
 「アイシャドウ。ちょっとラメ、入ってませんか?」
 (モノローグ)前略おふくろ様。やばいです。洋子ちゃんの浮気がばれてます。

 私と一郎はすっかりサブちゃんになりきっていた。一人二役ではなく、それぞれが一役を演じ合っていた。

 一郎はその名前から「イチ」と呼ばれ、「サブちゃん」は絶対に自分の人生だと思い、とうとう翌年から麻布の天ぷら割烹の板前修業に行った。そして今では湯河原・海石留(つばき)の花板だ。
 私は番組が始まった日が自分の誕生日だったので、「おれだってこんな脚本書きてえよ」と、翌年日大芸術学部映画学科に入り脚本を専攻した。そして今ではケンジツな道を選んではしまったが。

 この11月。先に一郎からハガキが届いた。
 「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」という印刷文字に手書きの文字が続いていた。
 「前略西ノ宮様。美奈子の父が逝きました。美奈子の父は、オレがずいぶんと年上だったことや、片親で育ったことや、ウィンドサーフィンに挫折したことや、そういうこと全部受け入れてくれた人で。」
 一郎は職場の同僚の若い仲居さんと、それはそれはまさに番組そっくりの恋愛をして結婚していた。その父が亡くなっという。一郎のこの時ばかりのスタイルだった。
 (モノローグ)前略おふくろ様。先に越されました。オレはあなた様の訃報をドラマチックに伝えようという意気込みだったのですが。

 今年の5月、私の母も末期の卵巣癌を半年患った末、他界していた。

 (モノローグ)前略おふくろ様。先に越されました。オレはあなた様の歳が83歳で、来年84歳には干支の午(うま)年を迎えるはずでした。そうした中で新春のお慶びは控えさせていただきますと、オレはあなた様の訃報をドラマチックに伝えようという意気込みだったのですが。先に越されました。ましてやこっちは本当の母親で、あっちは義父なわけで。重みっていうか切なさっていうか、そういうもんはこっちが上なのに。あと出しは、ジャンケンだって弱いです。

 これから先、私と一郎のふたり一役はまだまだ続く。

2013.12.09 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Dec 06
(Fri)

三軒隣りの桑田くん


 NHKの天気予報士の女性は先週まで「秋」と言い、今週に入ると「冬」と言った。
 この時期になると思い出すことがある。42年前の中学3年生の12月のこと。
 私の家の三軒隣りは桑田佳祐くんの家だった。ひとつ年上の桑田くんは大学進学校の鎌倉学園に入学。それでも、部屋には「天地真理」のポスターが貼られていた。
 高校受験前の私の部屋は殺風景をよしとし、かろうじて、どうやって手に入れたのかは覚えていないが「1972札幌オリンピック」のポスターはあった。
 そのことは桑田くんの母親に見透かされていた。
 本当は私だって「天地真理」が大好きでTBSの「時間ですよ」は欠かさず見ていた。

 暮れも押し迫った頃、桑田くんの家の犬が私の家の犬を噛みつく騒動が持ち上がり、桑田くんの母親が不二家のケーキを持ってお詫びに来た。
 桑田くんの母親が玄関先でしゃべっている声が聞こえた。
 「お宅のおぼっちゃまくんはお勉強がたいそう出来て。まぁうらやましい」
 翌日札幌オリンピックをはずし、変えたのは雑誌「スクリーン」の付録のウォーレンピーティーとフェイダナウェイの「俺たちに明日はない」
 それでも「天地真理」は貼れなかった。
 この差である。
 この思い切りの良さ。ここに桑田くんに追随できなかった訳があると、私、決まって毎年思う。  

2013.12.06 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Dec 04
(Web)

パタゴニアのカタログ


 パタゴニアの冬カタログが送られてきた。
 また、してやられたと思った。
 何度となくこういう気持ちにさせられた。わたしがもしプロのカメラマンだったら、しまった、こういう手があったかと地団太を踏むところだ。
 白い雪原を犬たちにひかせるソリ。足元には赤い布でくるんだ生活用品。それらをソリの御者目線で。
 寒くてつらい環境なのにそこへ飛び出したくなるような誘惑。白と赤でクリスマス商戦を彩る。
 MDカタログは数多くあれど、パタゴニアのカタログは思わずページをめくりたくなる。

2013.12.04 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Nov 23
(Sat)

盛土(もりど)


 茅ケ崎・鶴嶺通り沿いにある細長い畑。この秋の度重なる台風の影響で畑の土が流出してしまった。地主さんからその補充を頼まれたのだが、予算はなく。どこからか肥沃な性質の耕作用土を探してこなければならず。来年の作付けの時期は迫ってきて。切羽詰まっていたのだが。
 近くで畑を掘り返す計画を知った。掘り返して整地すると必ず余りがでる。その所有者に交渉に交渉を重ね、あらかじめ余りの土をもらいうけることができた。
 色、香り、手触り。すべてによし。真っ黒。腐葉土、堆肥充分。
 依頼主さんからはたっぷりご褒美をもらわないといけない。

2013.11.23 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Nov 19
(The)

来年の年賀状


  今年も残すところあと一カ月余り。
 この時期になると弊社女性社員の田辺が口うるい。
 「年賀状のデザイン、まだできませんかぁ」
 お世話になっている方々の宛名を心をこめて書くのだという田辺の姿勢には、それはそれは頭がさがるのだが、年の最後をこの仕事としている区切り方に、もうちょっとぎりぎりまで、すくなくともボーナスが出て年末調整の申告用紙が回ってくるまでは緊張感を持ち続けてくれませんかねえ、と言ったら角が立つだろうか。
 それでも、毎年、来年の年賀状と向き合うと敬虔(けいけん)な気持ちになる。
 ゆく年を振り返り、くる年を生きる。
 来年の干支は”馬”。それに特別な思いも重なる。
 今年の春に逝った母親の干支だ。 

2013.11.19 Kiyoshi Nishinomiya