2013
Oct 11
(Fri)

今村邦雄さんからメール。


  毎週土曜日の午後、私は茅ケ崎から自宅の藤沢・片瀬まで海岸線を徒歩で帰っている。走りながら歩きながら。15キロ。砂が足にまとわりつき3時間かかる。しかし、この無駄骨は壮大だと自ら悦に入っている。
 
 そんなある日、KT.Store Managementの取締役今だった村邦雄さんからメールが来た。
 「永年懸案だった「インディペンデンス」の日本語版第1章がついに完成しましたので、その喜びを分かち合いたくお便りしました。
 (中略)
 神経を研ぎ澄まして英和辞書を片手にワープロで日本文を打つことは、老人にはとても良い頭の体操です。全部で1300ページのうち今回やっと26ページが終わり前途多難ですがライフワークとしてこつこつ続けていくつもりです」
 今村さんは32年前に横浜の書店でくだんのペーパーブックと遭遇し、以来舞台となった米国ミズーリ州現地取材を重ねついに日本語版作成にとりかかった。
 メールには作業を終えたばかりの26ページの物語が添付されていた。来年には70歳に届こうかという今村さん。その気力体力には驚かされた。
 それにしても。
 日本語版翻訳を依頼した出版社はずいぶんと気が長いもんだ、とメールの先を読んだ。
 実際、今村邦雄さんの奥さまは芥川賞作家庄野潤三の長女で、さてはそういうコネクションを存分に使っているんだろう。
 ところが。
 最後の一文。これには再び驚かされた。
 「なお、出版元の翻訳権は未取得ですのでお含みください」
 個人的な気持ちの高ぶりでこんな事をしていたわけである。
 私の徒歩帰宅など、足元にも及ばない。

2013.10.11 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Oct 10
(Thu)

関根氏がフィリピンの孤島に移住するらしい


 学研の雑誌「ドゥーパ!」の編集長関根氏からメールが届いた。
 「学研パブリッシングを退職することになりました。今後は、フィリピンセブ島近くのカオハガン島という小さな島に移住します」
 その島は78歳になる崎山さんという日本人が所有している島で、ここ20年くらい島民の教育や医療の自立改善に努めてきたが、もうそろそろ歳も歳。
 関根氏がその運営の後継にあたるという。
 てっーえことは、ゆくゆくは村長にして校長にして病院院長?
  彼も日大芸術学部卒で後輩にあたるんだが、こういう身の振り方を選択した人は初めて見聞きした。
 大変なことの連続なんだろうけれど、内心うらやましい。
 何年か後に、うまくやっているかどうかこっそり見に行こうと思う。

2013.10.10 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Sep 24
(The)

夕暮れの帰宅


  バンドエイド、ポケットティッシュ、薬(片頭痛の)、水、タオル、携帯電話、いくばくかのお金。これらを詰めたバックパックを背負っていた。
 江の島の灯台に照らされた波の先端さえ踏まなければ、足は濡れなかった。
 後ろを振り向くたびに一番星が輝きを増す。
 50メートル離れて平行に敷かれたサイクリングロード、整地されていて足の裏に砂がまとわりつくストレスのない道、そこへ駆けあがってしまおうとする誘惑。見て見ぬふりをした。
  海岸線を走って帰る計画をたててから2ヶ月余り。4キロの早朝ランニングをこなしてきたが、砂浜の15キロはさすがに骨だった。
 先週の土曜日、午後5時に茅ケ崎を出て藤沢の片瀬の自宅に着いたのが7時35分。
途中バンドエイドを3枚貼った2時間35分。思惑通り、ただの帰宅は立派なアドベンチャーになった。

2013.9.24 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Sep 09
(Mon)

東京オリンピック音頭


 1964年の東京オリンピックの時、私は小学校2年生だった。
 戦後の意味も高度成長時代の幕開けも知らず、ただ白黒テレビを見ていた。開会式の模様は、その後に見た植木等の「日本一のホラ吹き男」の映像と重なり、以来、どこか底抜けに陽気なイメージとして記憶に残ったままで、必ず三波春夫の「東京オリンピック音頭」が頭を駆け巡る。
 「オリンピックのカオとカオ、ソレとトンととトンとカオとカオぉぉ」
 さて、このたびの国民的歌手による2020年東京オリンピック音頭。
 私はやはりサザンに歌ってもらいたい。
 桑田くんは私の三軒隣りでひとつ歳上。1964年当時はおんなじレベルだったのにいつの間にか差がついてしまった。
 大学の頃、私もTBSテレビでドキュメンタリー番組のナレーション原稿を書くアルバイトをしていて、放送作家デビュー目前だった。その時の桑田くんのヒット曲が「いとしのエリー」
 これにはかなわなかった。親からも「おなじ町内会から二人と有名人は出ないから」と言われ、思わずケンジツな道を選んでしまった。
 三波春夫の「東京オリンピック音頭」の作曲は古賀政男。哀愁とか悲しみとか涙とか、そういう心像を得意としていた古賀政男がハレの作曲。
 三波春夫と古賀政男のハレの唄を上回るオリンピック音頭。悔しいが、こいつぁ、桑田くんをおいて他にはいない。

2013.9.09 Kiyoshi Nishinomiya

2013
Aug 23
(Fri)

今日は処暑


 暦の上では今日は処暑。暑さの峠も越えてしのぎやすくなるという日。次の暦の節目は白露なんだという。届いたLLビーンのカタログもすっかり秋の装い。
 LLビーンのカタログをこのところ見ていなかった。あちらから送られてこなかった。いつが最後だったんだろうと振り返れば、去年のクリスマス号だったんじゃないかなあ。
 確かに、夏物のLLビーンは私、もっておらず。
 LLビーン。私の箪笥の中では秋冬の季語である。

2013.8.23 Kiyoshi Nishinomiya