2013
Feb 08
(Fri)
ダークナイト ライジング
この頃、私が仕事の合間に聴いているCDは「ダークナイト ライジング」。去年の夏に公開されたバットマン・シリーズのサントラ盤。
ダークナイト。闇の騎士。着せられた濡れ衣。逃げまどうバットマンを重厚に演出するBGM。
迫りくる危機感。得体のしれない恐怖。絶望的な結末。
そんな臨場感が耳から伝わると、健全な住宅建築の仕事が、一気に銀行襲撃計画と同じくらいの゛悪事゛に変わる。
ハードボイルドな自分を気取れる。
しかし、あまり聴きすぎると、暗く暗く沈んできて゛ウツ゛になりかねない。劇薬扱いする必要がある。
2013.2.08 Kiyoshi Nishinomiya
2013
Feb 07
(Thu)
1940年代のコカ・コーラ広告
ジョイマークデザイン社長・下山好誼(しもやまよしみ)さんは世界的コカ・コーラコレクターとしても、つとに有名。
私も多少、コカ・コーラ関連品を持っている。
その中でもお気に入りなのが、チリス・H・ベイヤ―著「Coca-Cola Girls」。7-8年前、南青山の嶋田洋書で見つけた。300ページすべて女性を起用したコカ・コーラ歴代の広告。
1886年、ジョージア州アトランタで発売開始されたコカ・コーラ。翌年にはもう雑誌広告の掲載が行われるようになる。1960年代までの広告はイラストで描かれていた。女性もコカ・コーラもロゴも。
その時代時代の美女とファッションがが反映されていておもしろいが、1940年代の第二次大戦下のCoca-Cola Girlは、ミリタリー・ルックで登場する。
コカ・コーラの成分は98%が水。2%がアトランタ本社、ザ・コカコーラ・カンパニーの最高幹部しか知ることができない秘密の成分。15種類の香料、スパイス、柑橘類で成り立っているというが、それもさだかではない。
この2%のレシピを世界のボトラーズに売るのがザ・コカコーラ・カンパニーの仕事。
広告イメージは常に常に時代に寄り添ってきた、味よりも。
1940年代の第二次大戦下のCoca-Cola Girlも軍服で、兵士に”Let’s get a Coke” と促進する。
ところが、70年も前の広告なのに、私もなぜかその美女たちに挑発されてしまう。
コカ・コーラは創業以来120年余り、2%のレシピだけで稼ぐ魔法の商売をする会社だ。
2013.2.07 Kiyoshi Nishinomiya
2013
Feb 05
(The)
ハイファイセット
もう35年以上も前のこと。
私が一浪して大学受験を終えると「赤い鳥」は「ハイファイセット」になっていた。
「竹田の子守唄」「翼をください」などの曲は「卒業写真」や「冷たい雨」に代わっていても、女性ボーカルのあのアコースティックな柔らかい声はそのままだった。
小田和正が稀代の美声の持ち主と呼んだ女性ボーカルは、山本潤子の名と知ったのは、ずーと後のこと。ハイファイセット解散後だった。
入学当初、私たちはアイビーを気取る事を原則としていた。ケネディカットのヘアースタイル。ボタンダウンのシャツ。靴はコインローファーじゃなくっちゃいけない。
朝、池袋駅ですれ違ったアイビーのとびっきりかわいい女の子は、見れば洋子ちゃん。同じ高校のひとつ下の後輩だった。
そりゃ、あっちは「あっ!」っていうし、私は「おっ!」っていいましたよ。偶然じゃなく当然の神様のお引き合わせだよね、こういうの。
へえー、現役で立教に入ったんだ、文学部なの。僕は江古田の芸術学部。高校じゃ先輩後輩だったけど、あははっ、同級生だね、これからは。
その一ヵ月前。私は雄司とバスケ部の後輩から「卒業写真」を借りてきて見ていた。
ひとつ下の女子は粒ぞろいだねえ、おまえ、3人選ぶとしたらどの子?
そのベスト3に洋子ちゃんは入っていた。
朝の池袋駅での立ち話は、弾んだ。
「何のサークルに入るの?スキー部に入るの? えっ!偶然だね、僕もさ、昨日スキー部に入部の申し込みしたんだ」
事実よりペアリフトに座る二人の想像が先に優った。
学校に着くとすぐにスキー部の部室に行き、入部の手続きをとった。
家に帰るとあらためて「卒業写真」を見た。やはり見えない糸で結ばれていたわけじゃないか、ねぇ。
一週間後、バスケ部の後輩から電話があった。
「そろそろ、卒業写真、返してください」
あっ、わりぃ、わりぃ。もう返さなきゃいけないと思っていたところだ。
「そうですか。それと、洋子ちゃんのことなんスけど・・・」
なぁんだ、もうおまえ、おれたちのこと知ってんのか。早いねぇ。
「アーチェリー部に入ったそうです。立教は池袋の東口で、江古田は西口だから、うまくすれば4年間会わずに済むって、真理子が聞いたそうです」
その後、十年たってもスキーをする時は、ハイファイセットの「卒業写真」が頭の中を流れていた。
2013.2.05 Kiyoshi Nishinomiya
2013
Jan 31
(Thu)
天童荒太の「ミステリーの書き方」
日本推理作家協会編著「ミステリーの書き方」は天童荒太のパートに入った。
天童荒太。代表作に「孤独の歌声」「家族狩り」「悼む人」がある直木賞作家。透明感のある記述、飾らない表現。なのに深く考えさせられる文体。推敲に推敲を重る寡作。ストーリーばかりでなく作者の人柄も反映されていそうな作品には、いつも、わぁっと、言葉にならない感嘆の声を上げさせられる。
その天童荒太のミステリーの書き方。
「これからの人へ。時間がかかることを嫌がらず、遠回りの道を避けないで、はじめは自分のためであっても、いつかは誰かのために書いてほしい。」
インターネットには触れず、携帯電話も持っていないという。
自分の作品と対話する生活ぶりが伝わってきた。
2013.1.31 Kiyoshi Nishinomiya
2013
Jan 29
(The)
「ミステリーの書き方」
私、だいぶ前から一篇のミステリー小説の構想を温めていた。このたび、ようやく執筆準備が整った。
プロットを立て、キャラクターを作り、文体を選び、あとは書くだけとなった。
それでも、この小説が面白いのかどうかとなると自信がない。そんな時、目に触れたのが日本推理作家協会編著「ミステリーの書き方」という本。
企てているミステリーがメソッド通りなのかどうかを検証するために読み始めた。
そうしたら、「亡国のイージス」「終戦のローレライ」でおなじみの福井晴敏のパートが最初にあり、その中で記されている指南に、私、とまどった。
「メールやネットへの書き込みに時間を取られ過ぎるのは禁物です。それがなんであれ、物を表すということは”気”を吐き出すことでもあります。文字通り気が済んでしまって、せっかくの才能を浪費する結果にもなりません。どんなことでも、思いの丈は作品のために取っておくべきです」
素直な私は、もちろん頷いた。
すると、とたんにブログを書くことが怖くなった。
ブログは文章を磨くための”筋トレ”として励んでいたのに。なんと作品を書く気力を失うことにもなりかねない。
私にとっちゃあ、これぞ大変なミステリーである。
2013.1.29 Kiyoshi Nishinomiya