2012
Feb 03
(Fri)

Super Bowl 2012


 2012.2.5 Sundayの興奮。
  NFLスーパーボールも間近となった。アメリカではオリンピックよりもワールドカップよりもなによりも、大統領もとなり近所もかたずをのむひととき。
 まず、試合前の国歌独唱。
 ビリー・ジョエル、マーヴィン・ゲイ、マライア・キャリー、ディスティニー・チャイルド、ホイットニー・ヒューストンなどなど。その時代を飾った歌手の独唱。そしてオーバーラップする気合の入った選手の顔。思わず鳥肌。冬の真っただ中、室内で見ても背筋に走る悪寒。
 中でも1991年のホイットニー・ヒューストン。フィットネス・ジムがえりのお姉さん格好で登場しておきながらの「星条旗よ永遠になれ」
 もう20年も経ちますか。折に触れ、私、DVDで何度見たことか。
 今年はケリー・クラークソンさんだとか。55歳の私、この方、存じ上げないんですが、暖房を強めて拝聴しようと思います。 

2012.2.03 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Feb 02
(Thu)

ラスト・フライト


 YUMAさんの友達と会った。いっしょにビールを飲んだ。
 現役の旅客機の機長をしている人だった。吉田機長、1957年12月19日生まれ、54歳。
 「どこの航空会社ですか」と聞けば、
 「ジェット・ストリーム航空です」と答え、また、聞きもしないのに「趣味はありません」と付け足す。
 吉田機長、もの静かな人格ながらも言葉が次から次へと続いた。
 小学校の頃から飛行機が好きで好きで、見に行ったり絵を描いたりプラモデルを造ったり、願いがかなり航空大学に入りました。アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、アジア。北極は行ったけれども南極はいってないです。無我夢中で操縦しているうちに、何カ国まわったのか、いつのころか数えるのをやめていました。次のフライトですか?あさってです。アルコールを飲んで12時間経たないと飛んじゃいけないんです。
 私はここ3ヶ月ほど湘南地区から出ていない。
 飛行機の操縦が趣味でしたから。
 そこまで一気にしゃべると言葉が短くなった。
 あと5年です。コックピットにいられるのも。何をして暮らそうかなぁ。飛ばなくなったら。
 「機長の吉田から皆様にご連絡いたします。シアトルの天気は快晴、気温は摂氏20度。良好とのことです。私ごとではありますが、今日がラスト・フライトでございます」
 酔った勢い。情感たっぷりに披露してくれた。

2012.2.02 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Jan 29
(Sun)

Made in USA


 こうも円高が続くと輸出は苦しいんだけれども、輸入品の購入にはメリットが出てくる。
 TPP問題で関税が取り除かれれば、さらなる傾向に拍車はかかるんだろうか?  アメリカ製ラングラー・ジーンズはもっとお安く買えてしまいそうだ。
 今後、日本の衣料産業の浮き沈みにも影響があるんだろうか。
 アメリカで注目の新進ブランドも個人で取り寄せることができてしまう。しかもユニクロ価格並み。
 こいつぁ、大変だ。

2012.1.29 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Jan 28
(Sat)

ラングラー・ジーンズ


 日本でラングラー・ジーンズはなぜかパッとしない。はいている人を見かけない。歴史、スタイルともにジーンズの王道。日本ではエドウィンが製造ライセンスを持っている。
 価格で負けているか?
 世界のテレビのシェア・トップは韓国のサムスン電子。2位はやはり韓国のLG電子。3位にようやく日本のSONYがいはる。ドルに対して円高、ウォン安。輸出すればするほど日本製品は高くなり、韓国製品は安くなるというハンディの現れだとも言われている。
 きれいに映るテレビより、安い価格のテレビがうけている。
 さて、ラングラー・ジーンズ。アメリカ国内の価格は40ドル前後。円にすると3000円そこそこ。ところがところが、エドウィンが日本人サイズに合わせ丁寧にラングラー・ジーンズを作ると22000円になってしまう。
 根っからのラングラー・ジーンズのファンは、細々と入る輸入品をNETで購入し密かに愉しんでいるのが現状。
 きびしいですなぁ、エドウィン日本製ラングラー・ジーンズ。
 製造ライセンスとセットで輸入ライセンスもあってしかるべきと思うけれど、個人輸入が当たり前の時代。 聞くところによると、海運業、今や花盛りだとか。
 私は、かっこいいラングラー・ジーンズの女の子、もっともっとお目にかかりたいんでございますが、日本に製造ライセンスが入っているだけでは増えないんでありましょうかねぇ。
 

2012.1.28 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Jan 27
(Fri)

三軒隣りは桑田くんの家


 私の家の三隣りはサザンの桑田くんの家である。年の頃もそう違わず、小さい頃から銭湯に連れだって行ったり、近所のかわいい女の子を奪い合ったりしたと自慢げに話してるが、脚色過多ではある。
 私、大学生の頃放送作家志望ですでにTBSでナレーション原稿の台本書きのアルバイトをしていたんだけれど、桑田くんはいち早く「勝手にシンドバット」でデビュー。「いとしのエリー」で不動の地位にあった。
 ある日の私、親から呼ばれ、
 「同じ町内会からふたりと有名人はでないから」と、マスコミ芸能界への道はあっさりとあきらめた。
 ところが、この頃桑田くんがなにかにつけて夢に現れるのですよ。
 「あのね、君ももうそろそろ有名アーティストになったら」 そう語りかけてくるんですなぁ。
 有名アーティストねぇ。努力とチャンス。私、55歳。難しい年頃ではありますよ。

2012.1.27 Kiyoshi Nishinomiya