2012
Dec 14
(Fri)

師走


  12月。師走。先生も走るという月。
 先生とはいったい誰なんでしょ。学校の先生、病院の先生、弁護士の先生、税理士の先生。教育、医療、法律、税金。一斉に動きまわらなければ年も越せない。
 今年はとりわけ、それに国会議員の先生方が加わり、大忙しの日本。
 その分だけ新年は実り多い年になればいいですねえ。

2012.12.14 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Dec 11
(The)

果たして似あうのか


 自らの60歳の還暦のお祝いに、同い年の1956年式のフォード・サンダーバードをもくろんでいるのだが、果たして似あうのだろうか。
 映画「アメリカン・グラフィティ」中では最もミステリアスで色っぽい女性が乗っていた車。車体の色はスノー・ホワイト。その清楚さに引きずられていながら荒れた生活を垣間見させる女性の車だよ、そんな車に私が果たして似あうのか。
 努力をすれば私だってお似合いのドライバーになれるかどうか。あと4年の猶予はあり。

2012.12.11 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Dec 10
(Mon)

60歳になったら


 あと4年すると私、60歳。還暦のお祝いに自ら定めているものがある。1956年式フォード・サンダーバード。
 私と同い年の車だ。いまでもアメリカ映画にもいく度か登場する名車。アメリカングラフィティではリチャードドレイファスが一目ぼれして追いかける美女が乗っていた。
 同い年の名車は他にもたくさんある。フォード・F-100、トライアンフTR3、ベンツ190SLなどなど。
 そうした中で、1956年式フォード・サンダーバードは実車を見たこともないのに写真を見るとなぜか郷愁をそそる。どうしたことか。
 ものごころついた頃はテレビではアメリカ・ドラマが真っ盛り。「名犬ラッシー」「逃亡者」「スーパーマン」
 きっと劇中に登場していたに違いない。知らず知らずのうちの刷り込み現象なんだろうと思う。

2012.12.10 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Dec 05
(Web)

L.L.Beanブーツ


 思いのほか行動を妨げられるウエスタン・ブーツ。そこへいくとL.L.Beanブーツはアクティブでよい。ウエスタン・ブーツほどではないがジーンズとの相性も悪くない。
 甲の高さまでがゴム、くるぶしまでが革でできている。水陸両用。つなぎ目は頑丈に糸で縫い合わせられているが、もしも万が一裂けたとしても接着剤で十分にくっつく。
 かかとの底だってすり減ったってゴムだから自分でゴム溶剤を盛ってリペアできる。
 そうやって、私、このブーツを10年間使っている。
 去年、もうそろそろ替え時かと新品を買ったんだけれども、箱から開けてがっかりした。10年履いている方がはるかに味があってかっこいい。また箱のふたを閉め下駄箱にしまって、以来一度も取り出していない。
 丈夫で万能なL.L.Beanブーツ。それでも欠点はある。冠婚葬祭に履いていけない。およばれの席ではラフすぎる。初対面の人へのインパクトが強すぎる。
 気取った場面には不向き。
 もし、一年中L.L.Beanブーツを履いて過ごせるとしたら。
 それはそれでまた気取った人生が送れる。 

2012.12.05 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Dec 04
(The)

ジーンズとウエスタン・ブーツ


 昭和31年生まれの私はジーンズを中学2年生の時、はじめてはいた。今から42年前のこと。VANを中心としたアイビー・ファッション幕開けの頃だった。
 当時、ジーンズはまだアイビーの主流のワードローブには入っていなかった。すそが細めのコットンパンツがその代表選手。だから私は親にVANのコットンパンツを普段着にせがんだんだけれども、「こちらの方が丈夫だよ」と、ジーンズを買ってもらうはめになった。今思えば、「こちらの方がお安いのよ」と言っていたのかもしれない。
 以来、いくつのジーンズをはいたかは覚えていなすが、ずーっと、ジーンズにお似合いの靴に悩み続けてきた。コンパースのバッシュ、ハルタのコインローファー、リーガルのデザートブーツ、セダークレストのデッキシューズ、などなど。
 しかし、どうもしっくりこない。かかとである。ジーンズのすそは堅く、靴のかかとの内側に気づかないうちに入ってしまうと、もう出てこない。
 巡り巡り、今では、やはりウエスタン・ブーツがベストだと落ち着いている。この取り合わせが一番足が長く見える。
 しかし、それも限定的に履かなければならないと自ら戒めている。せっかく動きやすいジーンズなのに、ウエスタン・ブーツは人の動きを鈍くする。歩く走る跳ぶ。実に不向きな靴である。
 生活環境によって、カロリー消費が大きく作用される、私、難しい年頃なのである。

2012.12.04 Kiyoshi Nishinomiya