2012
Mar 15
(Thu)

テストパターン


 

 日本のテレビ放送は昭和28年(1953年)から。
 昭和31年生まれの私。小学校に入る前、トラブルはあって当たり前の黎明期。放送が中断されるとテストパターンを見ていた。動かない幾何学模様をもう再開されるかもう再開されるかと見ていた。
 中学、高校、大学。テストパターンはいつしか幾何学模様は縦のカラーパーになった。
 昭和の終わりと平成の始まりの狭間はバブルの時代。テレビは24時間やっていた。
 やがてBSが始まった。準備時間帯は「フィラー」と呼ばれる外国の風景も使われた。
 今では懐かしのロックンロールや韓ドラの主題歌をBGMに加えている。
 テストパターンはどんどん進化した。
 だが「チロリン村とくるみの木」の間の動かない幾何学模様。あれを見ている時の気持ちは格別だった。

2012.3.15 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Mar 14
(Web)

ガーデンパーティー


 
  
   家の新築。新しい生活のスタート。それにともない出費もかさばる。
 引っ越し、カーテン、新しい家具、新しい食器などなど。
 半年前、去年の夏、建築主さんご夫婦の会話を聞いていた。
 「ガーデンパーティーより、カーテンを優先させなきゃね」
 庭という庭はほとんどない設計の家だった。なのにバーベキューセット、虫よけ灯、パラソル、ベンチ、テーブル。夏の夕べを楽しく過ごすアウトドア用品をあきらめカーテンをまず購入すべきだと、ご主人が奥さまを説得しているように聞こえた。
 
   おととい私と同業のご婦人と会った。おしゃれな方だった。スマートフォンのカバーにキラキラしたダイヤモンドのようなものがちりばめられてた。聞けば「スワロフスキーのクリスタルなのよ」という。座った椅子の横には白いバッグ。聞けば「エルメスのガーデンパーティーなのよ」という。
 これがガーデンパーティー。夏の夕べのバーベキューの集いではなかった。ブランド品のバッグだった。
 この頃私はブランド品にうとい、特に女性の。もう一度どこかで勉強し直す必要がある。

2012.3.14 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Mar 13
(The)

2025年のベンツは水素で走っている



 
 2025年のベンツは水素を燃料とした燃料電池で走っているらしい。ガソリンを燃やさず水素を燃やして発電するから環境にも優れている。一回の補給で1000㎞を走れる。
 もう13年後に迫っている。車がそうなら家庭用の電気だって水素でまかなわれていることになる。とすれば石油に端を発した中東問題すらない。
 果たしてそうなんだろうかとふと疑問に思ってもみたが、13年後ではなくとも遠からず実現していそうだ。
 私の1964年式フォード・ピックアップはその時61歳。面倒を見てもらっているガレージ・オチアイ氏もまだまだ健在だろうから、大切に乗り続けるつもりでいたが、こういうニュースを目にすると複雑な気持ちになる。
 「どうだ、私の車はまだガソリン車だ」と悦に入るか、「そういう車に乗ってるって非常識よ」と非難の目で見られるか。
 いっそのこと水素ベンツに乗り換える手もある。

2012.3.13 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Mar 04
(Sun)

レイ・チャールズとウィリー・ネルソン


2004年6月10日。盲目というハンディを背負いながらも「ソウルの神様」と呼ばれたレイ・チャールズが肝臓がんで他界した。ウィリー・ネルソンとの交流はつとに有名。中でもレイ・チャールズの葬儀で、ウィリーが声を詰まらせながら「我が心のジョージア」を歌ったのは印象的なエピソード。
なぜ、ウィリーは歌ったのか。

死期を悟ったレイがウィリーを病室に呼んだ。
「灯りをつけてくれないか」
いつものレイらしいジョークから始まった。
「タイムマシンがあったら、どう使うね?」 レイがウィリーに尋ねた。
「そうだなあ、1万年後の世界でも見に行くか」
「おれは1946年に戻るよ。ブレーブスとホワイトソックスの最終戦だ」
「もう一度観るかい?」
「違うね。あの晩、ジョージア州中の人間はターナー・フィールド・スタジアムに集まった。16歳のおれも行っちまった。戻れるんだったら、おれは片っ端から強盗に入る。一晩で一生分の金が盗めた」
「なあ、レイ。悪いが、その目じゃ車の運転は無理だろう」
「あんたを運転手に雇うんだ。オン・ザ・ロード・アゲインを歌ってやる。そいつがギャラがわりだ。あんたよりずっとうまい」
オン・ザ・ロード・アゲインはウィリーのヒット曲。「またいつかどこかの道で」という歌だ。
「そいつは光栄だね、おつりを返さなきゃいけない」
「つりはとっといてくれ。そのかわり、」
「なんだね?」
「そのかわり、おれの葬式では、あんた、おれの歌を歌って聞かしちゃくれんか」

それがレイの遺言だった。

2012.3.04 Kiyoshi Nishinomiya

2012
Mar 02
(Fri)

森の間伐


 「私の交換条件は、森の間伐のボランティア」と、今村邦雄さんは茅ケ崎駅ラスカ「かっ飛び」で2合の徳利の3本目を空けた。
 68歳。この6月にKT Store Managementの取締役を退くはずだったが、もうちょっと、もうちょっと周囲から引きとめられ、ならば二足の草鞋をはかせろとせがんだらしい。それが森の間伐のボランティア。
 「神奈川のあちこちの森は間伐されないから荒れている、このままじゃいけない」としみじみ語る一方で、
 「でも、きれい事ごとだけじゃおもしろかないね。大量の間伐材をもって帰って割って薪にして、売る。ひと束500円。それで私は紀伊国屋文左衛門になる」
 お宝の薪の置場に500坪の土地を確保したい。酔った勢い。そうなりゃ全国へ運ぶ帆かけ船も必要だぞ、とおっしゃる。
 夢は止められなかった。

2012.3.02 Kiyoshi Nishinomiya