2011
Sep 30
(Fri)

フクビ遮熱エアテックス


 フクビ遮熱エアテックスを外壁下地貼りに採用した。
 以前から、注目の素材だったが躊躇していた。
 そんな時、フクビ化学工業・神奈川営業所の佐藤主任がアベルコ斉藤氏をともなってやってきた。簡単な実験キットを携えて。佐藤主任は声高々に自信満々。半信半疑だったが遮熱性の向上は期待できそうだった。
 仕入れの価格交渉の段になると佐藤主任はとたんに声の音量を小さくした。音量を小さくすれば価格も安く聞こえるという演出か。あまりに小さすぎて聞こえなかったので、紙に書いてもらった。さしだしたA4サイズの割には小さい数字を書いた。これも演出か。細かいテクニックだが見習うべきではあった。
 採用と相成り、ようやく第一棟目、太田さんの家のに貼ってみた。
 太陽の光をキラキラと反射するアルミ膜はとてもNASAチック。この上に東レのラップサイディングで仕上げる。いよいよ遮熱性に期待がかかる。お住まいになる太田さんだってやがて実感するにちがいない。
 すでに、現場をご覧になった太田さんの家族からご満悦の声が届いた。
 「まぁ、かわいい。ディズニーランドで見かける看板みたいよ。外壁はこのままでもいいんじゃないの」
 目に見えないところの努力努力。弊社はまだまだ続けようと思う。

2011.9.30 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Sep 29
(Thu)

ユマの弾き屋、木工事着手


 葉山町の現場、私たち独自のコードネーム「ユマの弾き屋」の木工事が始まった。
 ツーバイフォー工法では5段階の工程で家の骨格を作る。
 ①一階床 ②一階壁 ③二階床 ④二階壁 ⑤小屋がけ。
 高さのある基礎の上に据えられた一階の床。またさらに目線の位置があがった。
 先日の強風をともなった台風の影響もなく着々と工事が進む。
 床を組み上げると、断熱材を敷き詰める。一階壁をたて起こす。二階部分に移行する。
 この一ヵ月あと。いよいよ「ユマの弾き屋」の全体の骨格を見ることができる。

2011.9.29 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Sep 27
(The)

アプローチに石貼り


 8月下旬に家が出来上がり、9月に入り引っ越してきた神田さん。その庭づくりがただいま佳境に入っている。
 アプローチのスタートは石貼りとなった。
 不規則な形の石をジグソーパズルのように組み合わせるのが石貼り工事のポイント。石と石の間の目地のすきまもとる。凸凹がどうしても重なり合ってしまう部分はハンマーでかき取る。ごくごく自然な形でおさる。四角いレンガを敷き詰めるより、技術力とアーティスティックな感覚を必要とする作業だ。

2011.9.27 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Sep 26
(Mon)

平和町の八木さんの2ndプラン


 茅ケ崎市平和町の八木さんの2ndプランの提案の日が迫った。お披露目は10月8日土曜日10時から。
 かかる設計士は私と細井ちゃん。ただいまふたりの間で激しい意見交換の日々。私は1900年初頭アメリカで流行ったアメリカン・ヴィクトリアン様式を気取りたいと、多角形の部屋とカバードポーチのある家のスケッチをサラサラと描く。それに細井ちゃんが「ここの構造はややこしいですね、ここのおさまりは検討が必要ですね」と、エンジニアチックな理論を重ね合わせるのだが、このたびは細井ちゃんのリアクションが極めて遅い。
 丸一日返事がない。どうしたことかと電話を取ろうとしたところへ細井ちゃんから電話。
 「高熱をだしました。40度の熱です。風邪でもなく下痢でもなく、体調を崩しました。作業が遅れてます」
 たしかに声は不健康っぽいが顔色はわからない。耳を澄まし電話の背景の音を聞き分けたが、疑惑の雑音はない。やはり自宅か。 
 「平和町にアメリカン・ヴィクトリアン様式の家。いいマッチングじゃないか」
 とたたみかけたが、40度の熱と聞けばお大事にとしか言いようがない。

2011.9.26 Kiyoshi Nishinomiya

2011
Sep 20
(The)

大橋さん家の犬


 去年の夏に竣工した大橋さんの家に犬がいた。今まで犬がいたとは知らなかった。聞けば、かれこれ半年ほど前から飼っているという。
 すこぶる人なつこい。見知らぬ人が近づいてもうんともすんとも言わない。だから、今まで気づかなかったのか。まず番犬の素質はない。疑うことを知らない。私もかくありたいと思う。いちずに迷わず日々生きている様子。
 「一を抱き、天の式となす」とは、老子第22章。
 たとえ多才な能力を持ち合わせていたとしても、迷うことなく、ひとつの道を積み上げ努力していけば、きっと世の中のお手本になる、との教え。
 大橋さんの家の犬は何を努力しているのか、それは謎だが、人生に迷い戸惑いはみじんも見られない。
 「小太郎」だか「小次郎」と呼ばれていたが、「小梅」「小雪」と呼ばれたって、きっと、振り向くに違いない。

2011.9.20 Kiyoshi Nishinomiya